人生100年の教養

脳への刺激によって人類が進化を続けてきたのであれば、AIが提供する知恵とVision Proのような仮想空間をリアルに見せかける仕組みはどのように人間を変えていくのだろう。江戸から明治にかわって、多くの日本人が海外から刺激を受けて、まぁ、受けすぎて戦争まで突っ走ってしまったというところなのかもしれないが、新しい刺激というか情報の大洪水が人間に襲い掛かるとどうなっていくのでしょうね。

山道をのんびり歩きながら、野山の草花を眺めながらじっくりと思考することを趣味としているわけだが、そんなのんびり野郎は駆逐されていくのでしょうね。というか、異なる人種として隔離されていくのかしら。材料合成の在り方も、インフォマティクスで劇的に進化しているわけだが、量子力学的に物質の全てがあからさまになっていけば、理想の合成物も思いのままなのかもしれない。パラメータを1個だけ設定して、それを軸にグラフを書いてなんてことは遠い過去になるのだろう。

日進月歩どころか、秒単位で進化を続けるAIだが、シンギュラリティは案外、近いところにあるのではなかろうか?そんな時代になると、AI市長とか知事とか出てきて、それらが世界中のネットワークで関係しあって、客観的地域性なんてものを産みだし、自分の価値観にあった街がどっかにできてみたいになるのだろうか。職業そのものの寿命が短くなって、身に着けたスキルの寿命が短命化して、何度も学び直す必要が出てくるだろう。オープンバッジが職業獲得の御旗になろう。

大学は学び方を学ばせる場に変化していくだろう。スキルアップの場では無く、スキルチェンジを提供する場になるだろう。大学教員はAIをパートナーにして、世界の最先端の学びの仕方を教授する者として変貌を遂げていく必要が出てくるだろう。今日明日と言うことでは無いだろうが、そんなに遠い未来では無いような気がする。結局は様々な文化に寛容で、広く学びを受け入れることが出来る人物を育成する機関となるのがミッションであろう。人生100年時代にふさわしい教養教育が出来るか。それが重要だ。