多様性

多様性という上手い言葉がある。生物多様性は失ってはならないという時の多様性は、正にそうだろう。46億年という地球誕生以来から続く多様性を失ってはならないのは当然の事。もっとも人新世になってから、かなり減らしてしまったようだけれどね。人工物が地上存在物で最も多くなったということだから、重量ベースで言えば人の行動が地球を覆ったということなのでしょう。気になる多様性は他にある。

首相暗殺から1年が経過して、暴力行為の愚劣さを思うわけだが、ある方面からは良い顔であっても、多方面からすると排他するべき人ってことがあるよなという多様性。8割賛成2割反対という時でも、2割の反対の声が大きくなって、それが多数に感じられる。足を引っ張る意見は兎角大きく成長して、総論反対になっていく。この多様性は如何なものかと思う。議論の余地を残さないというか、日本の村社会的だなと感じたりするのだ。

お上は大学は多様性を持って、独自色を出せというわけなのだけれど、組織の中に居ると自分が独自だって思いがち。それも多様性思考。全国的にも世界的にも独自性を定義しなさいというわけだから、強みは何で、それを武器に教育をさせて頂きます、次に育って頂きますということが求められているわけだ。単に分野に多くの人が居れば良いということではない。それを言われてしまうと、総合大学に太刀打ち不可能になる。

批判も反対も勿論OKだ。根拠があればね。気に入らないからという事も多様性の内かもしれないけれど、何故、そう思うのかという時に、生理的に受け付けないからとかね、それでは議論にならない。どんどんと議論するのが良い。今が良いわけでは無いのだから。社会はどんどんと変わっていくのだから。常に変わって来た。これからもそうだろう。反対するより受け入れてきたが、これも多様性ということだ。それで良い。