サラリーマン増税だと首相が言っていると、ウエブ上で観たのは10日くらい前だっただろうか?そんなこと言ったのかなと、無意識にメディアを眺めていると、今度はそんなことは言っていないと言われた側の言い訳が出てくる。言っていないならそうなのだろうけれども、どこかでそれらしいことを匂わせたのでは無いのかとも思ってしまう。研究に前のめりになり過ぎると、データを都合よく解釈して、自らの主張こそが正しいのだと思いがちなのだけれど、物事、一面からだけで判断できるものでは無い。
エビデンスギャップは医療業界用語だけれども、どんなところでも通用する単語だと思っている。若手重視の政策を打てば、例え、ベテラン向けの施策を打っていたとしても、若手だけ相手にしている政権と、ホムンクルスをぶち上げられる。大学全体を考えていれば、外野から、こっちを無視する輩は獅子身中の虫を放って食いつぶしてやれとなってくる。第三者は何が正しいか判断が出来ないから、SNS慣れした人々は、声が大きくて面白そうな方向に向かってしまう。
公に本社とやり取りしている文書のみエビデンスとなり得る。影の噂など知りようもなく知りたくも無いが、命懸けで頑張ってますよとしか言いようがない。皇帝爆弾と呼ばれる世界最大の水爆の実験の際には、地球を3回以上、その振動が回ったそうだ。幸いに実戦で今のところ使われてはいないが、真実とは遠いところにある思想を、証拠など無くても信じろと鉄槌を振り上げる者が世界には居るわけで、それが身の回りにもいらっしゃるから辛くなる。
会議が成され議事録があるなかで、その通りの執行をしても、好き勝手にやっていると騒ぎ立てる組織はどうなのだろう。スピード感が益々増してくる昨今、2年後の改定を考えてワーキングを立ち上げてなんて流暢な時代では無い。権力者は妄想を叶えようと躍起になってくる。それに立ち向かうには信念と真実しか無いのだ。その真実をネジ曲げて流布される様に呆れるばかり。反論はエビデンスのみだが、それすら観ようとしないのであれば、結末は見えている。