駄々をこねる

人との繋がりの面白さと申しますか。昨今の選挙情勢と申しますか。学外の方がどのようにお考えかということは、鶴舞大学がどのように社会評価をして頂いているかと言うことで、極めて重要なことである。自分を副学長にするのならば、票を集めてくるぞと言う、なんというか、何年前の出来事であろうか。未だ、国立大学の時代において、小生も巻き込まれながら、歯を食いしばっていたら20年以上が経過してしまった。

今回の選挙は全く違う。不平不満で、あいつらを駆除して俺がトップになったら、人事ポストは無限にあって、どんだけでも自由気ままにやりたいことが実現できるということが、小生の耳にも伝わってきた。小生的には「ふぅぅん」である。そんな魔法を繰り出せる方がトップになられるのであれば、どうぞ。小生は居なくなればよろしい。いや、本当である。文科省から自在に人事を獲得できるリーダーがいらっしゃれば、そこそこ、何とかなるのかもしれない。

その為政者殿は研究資金等々、お金を集中されるのであろうが、基本的資金をある一定以上に分配して、ミニマムなペーパーであっても自らを表現できるアシストはさせて頂いてはいるが、我が国の15大学程度である、そんな大学は。それも解らず、組合のお申し出を拝見させて頂くに、基礎研究のためのお金を無限に増やせと仰る。足りないと思われるのであれば、足りている大学にお移りなさったら如何か?と、申し上げたくなる。暴言多謝ではある。

身体を病むと、どうすれば良いのか分からなくなる。弟子どもが頑張ってはいるが、それは小生からすれば、見かけ上の出来事である。小生の首を欠き落とせるかどうか。圧倒的な新しさを論文や学会を通じて発進していく。その美しさ、すばらしさ!10年後、20年後、漸く評価されるのである。今日では無いのだ。どこかの大学に吸収されるにせよ、独自性を消してまで吸収されるのか?有り得ない。だから、副学長になりたいなどと言う人民ではだめだ。挑戦者でなければならぬ。当たり前だ。