ダーウィン曰く「変化できるものが生き残る」と。優れた取り組みを学んだから、それをここにも取り入れようと、それは誰しも陥る罠である。優れた取り組みというところが、伝統ある組織で行われている取組だったりすると、それが素晴らしいのだとなるのだが、果たしてそうだろうか。MITで行われていることをNITにそのまま移植して、それが正しく動作するだろうか。それなりの上司と呼ばれる方が音頭を取ると、世話して頂いた若手などは、そうだそうだとなるのだろうが、二二六事件が何故起こったかを思い起こすまでもなく、危険がはらむ。
偉い方が言うのだからそれは正しいと信じ込むのは構わないが、他人を巻き込んで良いものでは無い。時代は動いているのだし、未来を起点に起こり得る可能性から行動を判断するのが正しい。過去を批判し、他所のルールは素晴らしいからそれを真似しようと大きな声が聞こえてくるが、その素晴らしいと言っている人の価値観であって、絶対値で正しいというものではない。いや、正しいのかもしれない。そこには検証が必要である。
信じるの対極は疑うであるが、疑う前に評価しようということだ。それが討議であったり、データ収集であったりするわけだ。熱帯低気圧は台風には成長しません。何故ならば先の台風が海をかき混ぜ海洋を低温化させたからだと、根拠をもって説明されると、はぁ、なるほどとなるわけで、妄信には当たらない。延々の不況期間で国が疲弊しているから、税金の無駄遣いである国立大学法人を潰してしまえという論調を、少子化だから教育機関は減って良いのだという主張にすり替えて、それを進めようとしているわけだ。反論は認めないと決めている内閣府の頑固さは物凄い。
変化しないものは生き残らないということであれば、それはお上の主張そのものであろう。そして他者を扇動する正義無き騒乱者であろう。確かに変化することは難しい。しばらくはこんな状態が続くのだろう。批判は主張では無い。それを主張と受け止めて支持をすると、批判を目的に進むことになる。信念をもって事に当たる。世の中に先んじて変化していく。常に新しい。その為には後戻りは出来ぬ。未来基準である。当然のことだ。