ゆでガエル

国立大学が置かれた現状って、地面に穴を掘らせて、その穴に飛び込ませるみたいな。全体の税金投入額は変わらないのだけれど、各大学から8%を取り上げて、それを再び取り戻させる。疲れた大学から穴に飛び込んでいく。穴の底を更に掘り下げて、次の年がやってくる。こんなことを繰り返しずっとやってきたわけで、地方の大学の疲弊感は凄まじい。鶴舞大学も御同様である。

一番の被害者は学生さん達である。疲弊した組織で学びたいとは思うまい。そうならないように、経営サイドは必死なのだが、どうも必死にやり過ぎると、環境のぬるさゆえにゆでガエルが出来上がる。大学の外は熱湯なのだが、どうもそれが伝わっていない。社会的にも研究力が低下している、もっと競争させろとか、少子化なのだから無くしてしまえとか。そんな他人の上から目線批判はゲリラ豪雨の様に降ってくる。穴の底の大学は溺死する。

大学という組織は、今、国立大学時代に入社?した教官と、法人化後に入社した教員と混在しているわけで、教官側からすると、黙って座っていても国から研究費がぼんと降って来て、象牙の塔に外野の声はいらんと、そんな時代を引きずっている。一方で、教員として入社した皆さんは任期解除を目指してひた走ってきている。研究費を年々減らされながら。そこの部分は各大学での経営努力で、ある一定額をキープできていたりいなかったり。

競争しろ、それは正しい。でもそれは国内の大学での潰し合いでは無い筈だ。ゆでガエルが池に浮かんだ様を思い浮かべるが良い。そして熱湯がどれだけ恐ろしいか知るが良い。未来を担う学ぶ者が学ぶことだけに専念できる仕組みが無ければならぬ。これからはリカレントも極めて重要である。リスキリングも同様であろう。IT、IoTが劇的に進化している時に、紙とハンコを頑なに守ろうとすることの愚かさである。劇的に変わらねばならぬ。その通りだ。