バックキャスティングは生易しい思考法では到達できない。省庁が示す2040年の未来像から考えて、今、何を成すべきかという思考に移っていくのだが、そもそも現状にこんな不具合があるからそれを解消していこうと提示された未来像に、真の未来など無いのだ。ベンチャーキャピタルの方々とお話をさせて頂く機会は多くなったが、彼らは簡単に、「ペインからバックキャストして」などと言葉遊びに酔いしれるわけだが、今の積分をしていく過程で、情報を収集して組み立てろというフォアキャスティング思考になっていることに気が付かない。
多くの研究者においては研究のアウトカムとアウトプットの差を意識していないから、ファンドの獲得に繋がらない。これも未来における自らの基礎研究の価値を表現出来ないから。基礎研究って社会の役に立たなくて良いのだって、そんな学問なんて無いよというのが小生の想い。哲学だろうがなんだろうが、自分以外の誰か一人でも感動出来たらそれが社会の役に立っているということだ。いや、自らも社会の一員だから、その一員を心底感動させたら、それこそ素晴らしい。
未来をイメージすることを日本企業は極端に恐れていると感じる。新規事業を考えろと言って、世界中から情報を集めさせる愚を繰り返す。社員から夢を引っ張り出して、その夢を評価出来ないミドルに溢れていることと、挑戦に怖気ずく村社会の有り様が日本衰退の元凶だ。政治家は当選したら国家国民よりも自らの次の当選を願い行動する。そんなことで国家が強く成る筈が無い。教育の効果を世界に発信できる人財育成が出来る筈が無い。
技術はあるのかもしれない。勿論、今、売れている商材を作っているのだから、この瞬間までの技術はあったのだろう。新規採用した社員に過去を刷り込み、ステレオタイプに仕上げて、挑戦しない飼い犬に仕込んでいく。野放図に挑戦を続ける海外の企業に勝てる筈はない。精神論を語ると、戦前の軍国主義者と表現を換えられ弾かれる。精神論で良いのだ。そして未来を空想して良いのだ。そこに笑顔が見えるならば。もう間に合わないかもしれないが、挑戦を始めている企業様もある。草葉の陰で楽しませて頂こう。