努力

企業様向けにとある講座を「有償」で提供させて頂いている。その昔は聴く側がいい加減だったような感じを受けて、それならば無償でと、お付き合いメインなんだけど、全力で行っていた。なんとなくの違和感があったのは「その後どうなったの?」というリアクションが全くなかったから。学びました、でも、そこで得た知恵を何にも使いませんでした、ファイティングスピリッツも高まりませんでしたみたいな、そんな受講生相手に疲れ果てて、暫く、受けるのを止めていた。

それは外部向けなのだけれど、内なる組織においても変わりたくない、面倒は増やすなと言う、言ってみれば内乱を起こされたから、それならと自身で示すしかないなとなり、事業部を立ち上げて、営業、販売、売り上げで事業実践と、まぁ、社会では当たり前のことをやり出したわけだ。いろんな壁を立てられるが、企業の皆様の本気度は圧倒的に高い。こちらのやる気も、自らを精神的に押しつぶす程に高まり、それが本業にフィードバックされるから全てがプラス方向に動いていると感じる。まぁ、満点では無いけどね。満点はありえないからそれでよい。

で、表現方法を教授するのだけれど、この表現における文型というものを使えない方々の多さに驚かされる。勿論、完璧に使いこなされる方もいらっしゃるのだが、体言止めで「だから何?」と、会話にならない方が大勢。何でなのかなと思うと、中学校の英語の授業が良くなかったのではないかと、自分の年代の授業を思い出し、不快感が湧てきた。国語教育の貧弱さということもあるのだろう。日本人、表現教育を疎かにし過ぎ。

現在の行動が誰をどう変化させ、その結果何が生まれるのかということだけで良いのだけど、「これはこれ」で終わってしまう。エンジンは動くみたいなね、だから何なの?考え方も伝わる表現も学ぶ機会を与えられずに、過保護だったり競争だったり。苦しくなったら止めちゃうとか、最初から嫌だと言うと許されてしまうとかね。そんな教育を受けた人が教壇に立つ国は滅びるね。必死になって挫折して、折れて諦めて、それでも立ち上がってきた者の精神は美しい。そんな君は更に進めば良い。怠惰な者に愚痴を言う暇などない。そんな者を思う瞬間を、君の力で未来を拓く時間として欲しい。努力する機会は永遠に与えられる。それは万人共通だ。有難い。