荒廃地

多くのお企業様や金融・商社の皆様が「何か新しい事をやらねば」と仰るのだが、その「何か」がとても曲者で「労せず儲かる事」を指し示しているから嫌になる。お上が無責任に「大学は社会発展を牽引しろ」と言うもんだから、荷車を引く無料の馬みたいに思っている。馬が鹿を引っ張れるものか。いやいや、馬鹿な事を言っている場合では無いのだが、「何か」と言っている限り、それは受け身なのだ。御社の社是は何ですか?と尋ねて「信頼」などと答えているようではいかんのだ。

何がいかんのか?「信頼」というのは受け身であって、待ち受けの表現だ。木の根に衝突して卒倒するうさぎを待つようなものだ。「信用」という能動的な表現に対して「技術・サービスをもってして、その信用にお応え出来た」時に初めて両者の間に「信頼関係」が生まれ、ビジネスパートナーが生まれるのだ。「信頼」なんて二文字を額に入れて社長室に掲げているようではいかんのだ。その時点で、「何か」は『木の根に激突して卒倒するうさぎ』ということになる。

一方で、今無い世界観を描いて、その達成に必須な項目を上げて、そこに到達するまでのストーリーを描ける企業もいらっしゃる。この差は何かと言えば、100の失敗を経て1の成功に辿り着いた企業か、図面待ちやM&Aだけが顧客価値関係性と思っている企業かの差である。断言するのだが、事例的に間違いなさそうだ。B2CはCから生きた要求が続いている間は良いのだが、移ろいゆく世の中の先を読んでいないと、あっという間に沈没するのは間違いない。

「何か」を自社で定量的に考えねばならない。政治家は国民が泣くことしか選択しない。荒れ果てた農地を集約して、企業化し、自然を活かした米作に取組み、村おこしに挑戦し始めた地域もある。ものづくり企業は「ものをつくれる」のだが、図面がなければ作れないと威張るのではなく、何故、自社は選ばれるのかを徹底的に分析し、その強みを活かす枠組みを作るところから始めねばならぬ。図面が来なくなったものづくり企業は耕作放棄地と等しい。良さを活かし他者の為に出来る事を共有する。それが出来ねば荒廃地だね。