捏造

論文に掲載されたデータが捏造であったという。800回を超えるそうで、こうなると中毒だなとあきれ返ってしまう。近年、査読がどんどん厳しくなってきているが、このような科学者が自らの首を絞める行動はあってはならないのは当然である。データは生データが良くて、三点平均とか、いろんなデータ処理を学生実験の頃は教わったのだが、研究室に入ったら「禁止」で終わってしまった。要するに捏造なのである。学生実験までは捏造で指導して、いよいよとなると「それは駄目だった」と言われるのは、まぁ、40年も前だからどうしようもないけれど、禁止して頂けて良かったと思っている。

図抜けた論文に掲載しないと解雇されるような状況を突きつけるのもどうかと思う。加速器を使ったラザフォード後方散乱測定などは、そもそも論で、40MeVに加速された酸素原子核と他の原子核との衝突なんて、そうそう発生するものではないから、じっと我慢の測定になる。すると気が付けば二晩徹夜なんて当たり前になるわけで、それでもノイズの少ない信号に慣れてくると頑張れるし、そこから得られる情報の素晴らしさに感動すると、それが良い中毒となる。捏造者はそれを知ることは無いだろう。

分野によっては「これが出来たら凄い」ということがあるのだろう。理解される範囲で喝采されるとかね。研究者の現状を考えると砂丘の中の一つの砂粒なんだろうなと思ったりする。近代の計測機器のノイズカット処理機能は凄まじいから、何が真実か分からなくなてしまうのではないか。小生的には目視が一番正しくて、光学顕微鏡までは正しいだろうと思う。それを超えて電子なんとかとなってくると、既に計算機処理された画像になってきて、見えているものが真実かどうか怪しくなってくる。

更に測定対象から飛び出してきた電子の状態などに至っては、本当に見たいところから出てきているのか?見たい表面の構造なのか?怪しい事この上ない。標準と信じられるシリコン単結晶とかね、それから正しそうな信号が得られたら、その機械は正しそうとなるのだが、それは本当にそうかと常に疑わねばならぬ。学術雑誌の面白さはそこに真実があると信じているからなのだが、実は捏造だったよと言われてしまうと、もう何も信じられなくなる。捏造するより引退して他のお仕事を探すのが良かったのに。まぁ、人の噂もね、捏造されるけどね。残念である。