聴いてるかい?

定量的で限定的な話は伝わりやすい。あれもこれもと詰め込もうとすると、焦点がぼけて伝わらなくなる。国の大きなファンドに対して、巨大な文章と巨大なプレゼンを要求するわけだが、余りにも大き過ぎて絞り切れなくなってしまうのだが、それを思い切って絞ることで「成程ね、これをやりたいのね」となってくる。これは実に愉快であって、主張を認めて頂いた時の爽快感たるや。勿論、その後で襲い掛かってくる責任は凄いのだが。もの凄い責任を背負うくらいが丁度良い。

とある政治家殿の主張を聞く機会があったのだが、これがまぁ、如何に聞き手に的を絞らせないかを真剣に考察したプレゼンになっていて、こりゃぁ、票は集まらんだろうなと感じた次第。どの政党に属しているかなどはどうでもよく、有権者としての自分と価値観がマッチしていて、思考する方向性における過去の経験値を見せてくれて、政治だから、未来をこうしていていきたいという夢を力強く語って頂ければ良いわけだが、それが何も伝わってこないわけだ。

今更、与党の政策の批判をしても仕方が無いわけで、何しろ、投票者数の過半数を持っているわけだから、その考えが日本人の思考ということになるわな。じわじわと進む円安に、相対的な給与所得の低下。店舗商売などでは原料費も賄えまい。しかしそれは国民が選択した方向性なのだから、そこにどうのこうの言っても無意味だ。強い意志と信念によって、今を駆け抜けるしか無いのだ。経済的頑張りしか取り柄の無い日本だったのだが、どうも、それも凋落の一途だ。

小学生の弁論など、極めて全うであるのだが、年を重ねると寂しいことになるのは何故だろう。結局のところ、寂しい大人の人達が、置き去りになることが恐ろしくて、若者の芽を食いつぶすことに専念するわけだから、これからどう頑張ろうなんて意欲もわいてこなくなるだろう。思い切れない政治体制。大きくなり過ぎた組織の行きつく先なのだが、先ずは若者に言っておきたい。人の話を定量的に聴く能力を養うこと。腹を立てる前に、この人は何故、こんな目的を抱いてこんな話をするのか?そこからである。