日本の歴史は宮崎群の東征とその後の歴史の改ざんで、ものの見事に伝わっていないので、わずかに伝わる風土記とそれと相関関係が見られる土地に奉られた実際に生きていた人の言い伝えしかない。各家庭にも伝わっていらっしゃるのであろうが、久しぶりにいにしえの同郷人の歴史を知って感激した。ちょこちょこと歩いていると棒に当たるわけで、何かの拍子に口伝とマッチした歴史に出逢うと「運命の出会いだな」なんて思ったりする。
その人の歴史は、日本人なら誰でも知っている物語に出てくるわけだが、その登場の仕方に対して亡くなり方の悲惨さが、何でこんな話になるのだろうとずっと不思議に思っていた。その住居跡と古墳を拝見した時に、あぁ、なるほどな、そういうことかと、正しい歴史を知っておくと、隠しきれない事実に遭遇すると、知っている人間には痺れる程に2千年の年月が、今おこったことのように眼前に現れる。
その土地もいろいろに伝わる書物を総合すると、あぁ、成程なとなって、こうなってくると、もう、独りでにたにたと笑いが出てくるのだ。どんなに歴史の改ざん者、征服者が努力して、正しい歴史を封印したつもりになっていても、恩を受けた方々は、密かにそれを伝えていくものだ。長崎における信徒発見の如くに、伝わってしまうものは隠しようが無いのだ。偽の大王の歴史など興味は無く、ただ真実が解っていれば良いのだ。
西洋では暴君が他国に攻め入り、教科書を変えて嘘の歴史を承継しようと頑張っているが、それも同様に無駄な努力に成り果てねばならぬ。25年以上も前に、その地の近くを通った際に見た案内表示を忘れることが出来ず、ずっとずっと惹かれていた。出掛けてみて「なるほどな」と思って、本当に出掛けて良かったと思った次第。ネットなどで騒がれるパワースポットなどではなく、魂の糸電話で繋がる、ピンと来たところだけに立ち寄れば宜しい。命続く限り、そんな巡業をしてみたい。そう思った。