思う事

省庁の偉い方とお話をさせて頂くと、胸に刺さる部分と、ちょっと違うなということが錯綜する。仰る通りなんだけど、それは頑張っていますが、にっちもさっちもということは勿論ある。一方で、それ、昭和の国立大学だなというところと両方が入ってくる。この国立大学時代の間隔、よっしゃよっしゃで周りが付いてくるみたいな感覚は、今の現場感覚からすると全く違う。そんなものは微塵も無い。今、61歳以上の先生方は、普通であれば平成の変わり目に助手になった人達で、それよりちょっと下でも昭和の研究室を出ていらっしゃるから、そんな気分もあるのだろう。

中小企業のおやじさん達は、小生よりも年齢が上だから、当然の事ながら昭和の感覚で生きていらっしゃる。且つ、バブルを悠々と愉しまれた方々は、大学の知恵なんぞゼロ円だと決めつけていらっしゃるわけだから恐ろしい。まぁ、大企業もきちんと値付けして頂けるところは、まぁ、数少ないけれどそれはバブルを乗り越えて巨大化された企業体質ということなんでしょうね。学長諸氏もその頃の方々だったわけで、その風潮が続いてきているのだろう。

サブがバックヤードで走り回っているならばそれで良いのだろうが、仲良しこよしのトップ集団では、もう、お先は見えているんだろうな。サブが日々、血反吐いて悩み抜いて、産官学金民を走り回っているならば良いのだが、良質な情報網を持つことなく、流行り廃りで動くようではいかん。工学は世界のものであって、ドメスティックなものではない。誰かの私物では無いのだ。そして大学は新しい人達に巣立って頂いてなんぼである。研究者にだけ耳障りの良い政治では、やっぱりお先真っ暗である。

土日無く思考していると、思考を停止した瞬間を持っている方々って凄いなと思う。思考を断絶させたとしても、途切れた思考の端と端を繋ぐことが出来るんだなと、延々とものづくりの研究をしてきた人間としては、新しい提案に向けて思考を断絶することが恐ろしくて仕方がない。欲や名誉でやれる時代では無い。組織の外と結託して転覆仕様など以ての外である。一歩一歩である。エゴでは立ち行かない。そんなもんだ。