人それぞれ役割があって、それなりの価値観を身に付け、個性を持てるようになるのだと思っている。役割をまっとうしながら得た知恵を、更に自らの価値観に重ね合わせてどんどんと新しい知恵を持ち、それを活用していく。きっとそれが役割という事だろうと思う。いろんなメディアが2025年の日本の超高齢化社会で労働人口が激減するとか、2040年には更にそれが加速してとんでもない?ことが怒るとか、恐怖をあおるわけだが、それぞれの役割を果たすしか無かろうと思っている。
身の丈というやつなんだけど、身の丈に合わないとかいうんだけど、身の丈いっぱいいっぱいに努力しきっている人がどれだけいるのか?恐らく余力ばっかりでもっともっとおできになるのだと思うのだけれど、それをやらずに自らにブレーキを掛けてしまっていないか。逆に本当に、そりゃぁ無理だよという事にお熱になっていたりしないか。人口予測は、勿論、来年、何人生まれるかということを正確に決めることはナンセンスだが、まぁ、いろんな情報から推測は出来てくる。長期天気予報よりはずっと当たる。
その当たる予測なんだから、労働人口が足りないとか運送業の労働問題でドライバーが足りないとかずっと叫んでいるんだけど、どうしてAI、IoT等々を活用して、作業を全部機械にお任せするとか、自動運転に関する技術開発に圧倒的にお金を掛けるとか、どうしてやらないのかということを常々感じる。ずっと解っていたわけだ。それをほったらかしてきて、いよいよとなると大変だと騒ぎだす。それが繰り返される。
一番の問題事は、国が未来に向かって世界と協調して国を牽引する人材の育成に取り組んでこなかったことだ。討論できる人を育てようと、基盤的学問や文化、歴史等、討論のネタというか共通言語というか、そんなものを叩きこむ教育をしてこなかったことが一番の問題で、いきなり大学に責任を持たされても無理というものだ。勿論、大改革を大学が率先して挑戦できてこなかったことも事実で、それは変えねばならぬ。聴こえの良い言葉には無理があって、耳障りなことにこそ本質があるのは、それを理解できるからだ。未来を一緒に作りましょうと、聴こえの良い言葉を聞いたとしても、未来を創ることに時間を取られ、本来の役割を果たせなくなることを君は納得しているのか?