何十年も掛かって開発を続けて、今こそというところで他社に出し抜かれてしまう。勢いだったり、人材だったりということなのでしょうけれど、目の前に形になっているのに、それが世に出ていかないという商材候補って数限りなくあるのでしょうね。とある先輩が10年掛かってやっとこさ物になったと仰ったことを思い出す。とことん、追い詰めていかないと世の中には出ていかないよと、ぼそっと仰ったのを思い出す。神戸震災の直後だったから、もう相当に古いお話だ。
応援していたプロジェクトが立ち消えましたとなると、それはやはり寂しいものだ。自分が直接タッチしていなかったとしても。そして事業の難しさを実感する。繰り返し試験を行い、乗り越えられない壁を見た時の辛さ。研究だと自分の仮説が間違っていたということになるのだけれど、何億もの資金を投入して、それがものにならないとなると、やはり厳しい。体力のある企業様で無いと、なかなか挑戦は出来ない。
回収の見込みのない補助金とかね、ばらまいておしまいなんだけど、税金であることを政治家諸氏が忘れてしまっているのがいかん。挑戦を後押しして、世界と闘おうとする企業殿の開発に、選択と集中でどかっと挑戦資金を提供する方向に変わらないものか。なんか、成功が約束されているものにしかお金を投入しない風潮になっていて、これでは我が国のものづくりが縮退する方向にしか行かない。単なる失敗の為の失敗では無く、それが出来たら凄そうだなというものにはそれなりの資金を税金から出してもよかろう。
ゼロベース思考は大変だし、それで思いついたものがビジネスと呼べるものになるのか分からない。しかし、一人が欲しいと思いついたものは、世界を見渡せば私も欲しいと思う人は必ず居るものだ。オタク産業になってしまうのだが、オタクこそ社会の変革者であり、高価であってもその価値を見抜ける人種である。平均点人間よりもオタク。オタクが世界を救う。オタクを見出したい。