シンギュラリティの後は?

窓口業務をさせて頂いていると、いろんなお声を聴かせて頂ける。こんな技術が欲しいのですけれどと言われるのが最も多かったりするのだが、企業様からのその手の声は、商材として販売している技術が欲しいということがメインになっていて、買い叩いてくることばかりである。これが日本が貧乏国になってきた理由では無かろうか?

そもそも日本の大学って、ドイツの専門職教育機関を真似て講座制を作って、それでずっとやってきた。専門家が出来てそこで狭い範囲の研究が成される。それはそれで良いのだけれど、隣は何をする人ぞで、交流を嫌うというか、視野が狭いというか。自分の研究が盗まれるのではないかということを極端に恐れて、交流を避けてしまう。ニッチでマニアックな研究、タコつぼ型と言われるチームが出来上がる。外とのインタフェースを持たないから、価格が安くなる。

大学が発展していく過程で、産業界とのインタフェースとしての側面を作るために大学院を作って来た。教育、研究、社会貢献という三本柱の誕生なのだけれど、社会貢献の部分が他国に比べるとおろそかになってしまっているのは、買い叩かれるということもあるのだけれど、社会の側が「どうせ大学は企業が社会にどれだけ貢献しているかに興味は無いのでしょ?」という冷めた思考があるからではなかろうか?

親方は、大学へのお金は過去20年間で10%も増やしていますよ、努力が足りない!と叱責はするが、物価高騰、円安のことは一切思考には入らない。ドイツでは80%も増えている。韓国においても30%伸びている。少子化対策で3人目からは無料ですよと言っておきながら、その進む先を伸ばそうと投資することは無い。シンギュラリティがもうすぐ来て、その先に何を成していることで大学と言って頂けるのか。議論をしなければならない。そんな時代だ。