脱ムラ社会へ

ムラ社会慣れを見せつけられると気持ちが萎える。決まっているから出来ませんという、数万年前に出来上がったルールで自らを縛って、どうやったら出来るのかを考えなくなる。点数獲得に躍起になって、自由な発想が出来なくなる。解釈だけの問題なのだが、これはこの方向性で解釈することが正しいの一点張りで、他人の意見など聞きやしない。島国日本のムラ思考ということなのかもしれないけれど、出る杭に成ろうともせず、それに挑戦する者の足を引っ張る事には熱心である。

以前居た組織ではこうだったなどと、会議の場で持ち出されると辟易する。それがリーダーだったりするとたちが悪い。ここは飛び地では無いのだから、妙なルールを持ち込まれても困る。時代の変化にも場の変化にも対応しない。まぁ、ドメスティックな組織の中のお話だから一般論では無いけどね。でも、なんか、企業の方々の頭の中も相当に硬いのではと感じることが山ほどある。掴んだ仕事は私物化出来るみたいなね。世代交代を許さないみたいな。

日本に夢を持てるかという問い掛けに、高校生までの26%が「持てる」と言ってくれたというアンケートに「そんなに沢山いらっしゃるのか!」と感激した。しかし74%は「持てない」と感じているわけで、これは決して少なくないだろう。世界に打って出ようとしていかなと、世界から見えない国になっていくわけだ。どの国でも作ることが出来る商材を、薄利多売している状態では、見えない国を加速させるばかりである。

リスキリングと政府は叫ぶが、薄利多売路線以外のビジネスモデルを描けず、労働当たりの賃金も低いままだ。鶏と卵のお話になってしまうが、よりよいものが相応の価格で取引されるためには賃金も上がらねばならず、どこかでどっちかが図抜けないと、国の有り様は変わらない。インフラ的なツールは薄利多売が良かろうが、図抜けたい人達には厚利少売で良いのだ。ベンチャーなどはそちらを目指すべきなのだが、図抜けることが苦手なムラ人種には難しい。オンリーワンでナンバーワン。それ以外は無意味だ。