終りが始まり

普通に切削で、2ナノメートルの切削痕しか残しませんと言われると、何言ってんだ?となってしまうのだが、海外ではそれが当たり前になってきていて、そんなものが我々が無意識に活用しているスマホなどに活用されている。逸品ものでは無くて、ボリュームプロダクトにその精度が投入されていることに驚かされる。我が国がそこに到達するのは一体、何時になるのだろうかと残念に思ったりする。上には上が居る。当たり前なのだが、薄利多売にのみ価値を置く日本には行きつけない世界なのかもしれない。

ベンチャーなどは高利少売になるのだが、その国では高利多売らしい。これでは国力の差はどんどんと開くばかり。昨日、とある方と親密な時間を頂戴したのだが、「その昔は違ったよね!」ということで熱くなった。若者はもっと歯を食いしばったぞということ。これを言い出すとアカハラ一直線なのだが、多くの方から同じ声を聞くということは、やっぱりそうなのではないかなと思う限りだ。気が付いたら夜が明けていたなんて当たり前だったけどね。

「二番手ではいけないのですか?」とその昔、政治家殿が仰いましたけど、「はい、ダメです」とTV画面に向かって怒鳴ったもんだ。一番だから良いのだ。誰も見たことが無いから良いのだ。それでは一番になるにはと言えば、努力するしか無いのですよ。何人よりも努力するから一番になるのであって、二番で良いと思う人は、その程度の努力しかしなかった人なのでしょう。それはとても寂しい事だ。

いよいよ居室の御片付けが本格ムードに入って来た。棚から出てくる若者の血と汗と涙の結晶に胸が熱くなる。いや、過去形では無い。自らももっともっとと、自らを焚きつけねばならぬ。始まりが終りで、終りが始まりである。良く終わらねばならぬ。厭らしく引っ張ってはならぬ。スパッと過去を切り、そして明日を始めるのだ。その為に、先ずは丁寧に一つ一つ、未来から今を見て、捨てるものは捨てていく。先ずは高利少売を目指して頭の中を切り替える。暫く続く。