友との討論にて

年に一度しかやってきて頂けないと書いてしまうと、足蹴く通って頂けるかなと思ったりするわけだが、遠方よりお越しになられるのだから、それは我儘というものだろう。貴重な意見交換であり、感謝するところである。昨日の大失敗のお話なのだが、失敗というと叱られること、上司に不平不満を言われることと思いがちだが、そうではない。失敗と思うのは自らの心の中にあるのであって、こうなるだろうと仮定した結果にならないだけのことである。それはそうなるべくしてなるのだから失敗では無い。見込み違いなだけである。

大失敗は被害甚大、心が折れるくらいの見込み違いで誰かに迷惑を掛けてしまうとかね。そのレベルになるとしょっちゅうやるわけにはいかないのだけれど、議論に出たのが、挑戦しなくなってしまうということ。失敗するなと言われることと、挑戦するなということが同意になってしまうことがあるのではないか。いきなり、大きな挑戦的課題を立ち上げて、成功見込みが無いかもしれないけれど、挑戦的課題を細分化していってバリューブリッジで構造解析してみると、律速過程も見えてくるし、動き出すことも出来るかもしれない。

構造解析をしてみると、振り返りもし易くなる。これはとても大切な事。PDCAということなんだけど、簡単な事なのだが取り組んでいらっしゃる人がどれだけいらっしゃるか。繰り返し経過を遡って観察していくと、なんでこんな行動に出たのだろうと思う事もしばしばだ。結果論なんだけど、あの時こうやっていればと思ったりもするのだが、その時にはそれが最善の行動だったし、能力の限界であったと思う事もある。その時の最善を尽くすということに尽きるのだが、時間と経験は残酷で、振り返ると愚かだった自分に出合えるのだ。

若年層にどうやって夢を見させるのかということも難しい。全てが与えられ、そして手を差し伸べられて、蝶よ花よ乳母日傘で育てられ、満たされ続けて育っているわけだから、将来の夢は?と問われて、オリジナルの発想で夢を描くことなど出来ないだろう。そもそも大人が夢を語れないのがいけない。内省することもなく、自らの価値観を深堀することも無い。そんな状態でスタートアップ支援など遥か彼方だ。自らの価値観を知るのがよろしかろう。そこが第一歩だ。