シリコン系というか、いわゆる重くてハードな太陽電池は、山の斜面だったり、池の上だったりと、それなりの平坦地が必要になってくる。斜面に乱雑に並んでいるところもお見受けして、これはとても柔軟な発想の方が作られたのだなと感心するのだが、大略、山地を大規模に切り開き、コンクリートの土台を作りこみその上に金属の筐体をくみ上げ、硬質の太陽電池を敷き詰める。当然のことながら、山の保水力は激減するわけだ。大規模誘致を成しているエリアの皆さんは、望んでやられたのだろう。何が起こるかは原発誘致と同じである。
最近になって大規模太陽電池敷設の反対運動が起こっているようだが、時すでに遅しであろう。国内を近距離航空機で移動すると、低空飛行してくれるから大地がゴルフ場や太陽電池で傷つけられている様が目に飛び込んでくる。系統電力線で吸収しきれないほどの大規模かつ変動性の電力発生源をじゃかすか作りまくっている。山がおかしくなれば海もおかしくなる。海幸彦・山幸彦の双方が泣いていることであろう。
ペロブスカイト太陽電池はわが国初の太陽電池で、屋根の上の分散電源としてはうってつけと考えるのだが、どうも隣国で量産化が加速して、有機ELパネル同様、他国の収益源となっている。シャインマスカットとかね、どうも政治家諸氏は自分たちの次の当選だけのい思考でいっぱいいっぱいで、天下国家の行く末を見ていないから、どこに投資して、どこを切るかという判断ができない状況にある。まぁ、いずこの組織も似たようなものかもしれないが。リコールなども同様であろう。
とは言うものの、災害地を拝見すれば、分散エネルギー源と飲み水確保のためのシステムの分散化が必須であることは明白である。しかしながら、それらが国のてっぺんで議論され始めたという痕跡すら見当たらないのは嘆かわしい。ひっくりかえった月への使者に、太陽光による恩恵が出始めたらしいと聴く。なんという天恵。天は平等である。そのエネルギーの活用法を単なるビジネスライクで考えるのではなく、人の幸せベースで考えたら如何か。そう思う。