大震災の際に発生してしまう大量の災害廃棄物。思い出が詰まった物ばかりだから、廃棄物とも言い難いのだが、ここでは便宜上、そのように書かせて頂く。小生が現在居住している近所に、T公園があるのだが、そこは伊勢湾台風時の災害廃棄物を堆積させ、擁壁で囲い、土をかぶせて出来た公園地であると、古くからその地の半径5km以内に居住されている方にお伺いした。小山である。恐らくだが、焼却等の手段ではどうしようもなくなったものを集約した結果であろう。やや恐ろしくもある。
能登半島地震においてはその量は、今現在の推定で240万トンとの事なのだが、全くもってピンとこない巨大な量であることは間違いない。元来、人が活用していたものだけでそれだけの量がカウントされるわけだ。崩れた土砂の量などはそれには積算されていないのであろう。お話によれば、大規模土砂崩れがあって、塞がってしまったトンネルなどは、その再利用を諦め、新規にトンネルを貫通させることになるのだそうだ。そこに住まう人がいらっしゃるのであれば、その為に進んでいく。熱い心である。
世界に目を転じるまでもなく、ネットニュース等で世界中の気象災害の状況を獲得できる。日本列島よりも巨大な低気圧が大陸を蹂躙し、とてつもない豪雨で車列が流されていく様は、ノアの箱舟の序章と感じてしまう。見たわけでは無いが、実際にあったお話っぽい大洪水が、温暖化によって大気中の飽和水蒸気圧が上がり続ければ、必然的に発生するのだろうなと思う。週の頭にあった関東地方の豪雪にしても、太平洋の温度が上がり、水蒸気量が増えたために生じた現象であろう。
うるう年は災厄が多いと言う説があるが、これは都市伝説に過ぎず、真に受けるつもりはない。しかしながら、太陽の活性期でもあり、それに伴って、とてつもない気候変動が生じてもおかしくは無かろう。備えはいくらしていても後悔することは無い。二月には二度の連休があり、万が一の備えに取り組むにはうってつけである。ぼぉっと過ごすか、自助出来る初動を確保するのか。知恵は何のためにあるのか。考える連休であっても良いのではないか。そう思う。