少量多品種時代

鋳物など、量産品構築に掛かるテクノロジーは凄まじい。釣鐘のような一品ものから、自動車のエンジンという超量産品迄、そのコアテクノロジーの活用の場は恐ろしく広い。共通項は「壊れてはならない」量産品であること。金属工学は勿論の事、砂に関わるセラミクス技術、熱伝導等々、学問的なところは当然の事、鋳型から出した鋳物を再加工する機械技術の高度化も素晴らしい。鋳物という4000年の歴史がありながら、更に発展が続けられるテクノロジーも珍しい。

半導体関連株がとても好調だそうで、平均株価の底上げに寄与しているという。AI関連技術が社会進出を始めたばかりで、当面の間は半導体の活用に伴う、その進化は続くのは間違いない。Si基板は生産が追い付いているのかなと妙な事に心配になってしまう。電信柱みたいなシリコン単結晶からウエハが切り出され、無欠陥に磨かれ超平坦面が得られる。そこにも超技術が積み重なり、俗に言うところの半導体となって、様々な機器の動作に関わっていくわけだ。

鋳物やさんは何をやっているのかと、その昔、その筋の方に問うたことがあって、お応えは「鉄屋」だったのだけれど、鋳物が成していること、例えばエンジンであれば、自動車による移動によって、次の目的を達成することに集中することを叶える屋という返答が来るべきである。鉄を溶かして鋳型に入れることは、鋳物がどんな価値をユーザーに提供出来ているかという観点で思考するべきなのだが、どうも日本企業はその考えが出来ず、日産自動車に強要されると薄利多売に突っ走ってしまうわけだな。

日本では金型や鋳型を使った商材で無いと、商品として認められないような雰囲気を感じる。量産品でなければ商売とは言えない。一品ものでは利益が出ないと。しかし、それを欲する人の笑顔があるならば、それを生業にしても良いではないか。これからの半導体産業を支える加工にしても、現状で良い筈はなく、既に諸外国は日本国産の刃具よりも圧倒的な鋭利さをもって新しいものづくりに挑もうとしている。良いものは良い。だから高価であるべきだ。そう胸を張って頂きたい。