週間掃除ネタということではないのだが、古い紙媒体はドキュメントスキャナを用いてどんどこ電子化していっている。ドキュメントスキャナを使い始めたのは相当に古く、既にソフトウエアなどはメーカーサイトからダウンロードできない機種まで現役で生き残ってしまっている。取り敢えず動く限りは使ってしまおうということなのだが、セキュリティホールになったらまずいなとは思いながら、それなりの価格がする機械だからおいそれと交換できない。
機械のお話では無くて、スキャンする紙のほうのお話。博士課程学生の頃からの古いファイルケースから出てくる、語るも涙の古いデータ達。方眼紙に1mmごとにプロットしてあって、それが精緻に並び、誤差範囲を考えてもぶれることなく、整然と並んでいる様を見て、丁寧に研究を重ねてきたなと、我ながら感動するのだ。光記録の原点になる奇跡のナノ秒領域の振動波形など、涙が滲んでくるほどだ。
まぁ、そうなんだけど、それを価値と感じるのは自分だけで、あの世迄その感動を引っ張ることは出来ないわけだから、スキャンしたらあっさりと廃品回収に回すのだ。それで良いのだ。想い出は必ずゴミになるというやつで、どんどこ思い切っていくわけだ。スキャンするのが面倒なものは、そのまま束ねてさようならである。
什器の廃棄の時点で停滞してしまっているのだが、それもまぁ、進んでいくでしょう。それにしても25平米の部屋をがらんどうにする事の大変さに参ってしまう。30年ため込んだ結果なのだが、前の職場から持ち込んだ書類までもが立ちはだかってくる。終活は大変である。早め早めが肝心だね。