インチキ考

型式証明を頂かないといけないのですよと、MRJというかスペースジェットの時に「難しいものだな」と感じたことを思いだす。どんな政治的と言うかからくりで基準が決められているか定かでは無いのだが、建前とすると走行時の安全を担保するためと言うことなのだろう。コネクテッドになってくると、高強度金属ボディーと高周波での外部・内部電装という二律背反みたいなことになって、その標準化と言うか、安全基準構築も大変な事だろう。

記者会見を拝見していると、自動車の安全には関係無いんだよみたいなことを、トップが平然と仰る。「数値上、安全には関係ない範囲だから数値を書き換えた」とはなんという言い草だろう。研究者であればデータ捏造で最大の罪である。そもそも関係ない範囲だったら変更する必要は無かろう。言い訳として出てくるのが、トップからの上市までの期間の短さの要求に対する、現場の焦りだみたいなことで、現場が悪いと言っているように聞こえてしまう。

ユーザーもよろしくない。リセールバリューが大きな内に、二、三年しか使用していない自動車を、新機能が付いたとか、嘘の数字で塗られた燃費などに引っ張られて、乗り換えて、鉄くずの山を世の中に投げだしながら、Tier0企業の潤いを保ち続ける。哲学の無い日本の自動車企業であるから、これまた哲学の無い国民と共鳴出来て、数字を塗り替えてじゃんじゃか市場に出していく。その勢いで現場も青息吐息になって、いんちきをしてきたのだろう。

いんちきである。市井の民は貧乏である。薄給に喘ぎながらも高価な自動車を入手するのだ。その挙句が「インチキしてました」と言われてしまうのだ。その切なさなど感じることは無かろう。でも、インチキをしているのは人間である。インチキさせた人もさせられた人も、何処かで教育を受けてきたはずである。教育の中にインチキを許す人間教育があったのだろうか。駄目なものは駄目。それで良いのだ。どうすれば駄目では無くなるかを考えれば良いだけだから。それが工学の筈なのに。恥ずかしい。