決断と行動

学者の世界だと、当該分野でコツコツと頑張ってこられて、地道に自らの世界を切り拓き、それが遂に世界的なジャーナルに掲載され、学会の基調講演者となられるといったような、なんというか、努力によって先達となられましたねという尊敬ストーリーというか、そんなものが見えやすい。見えやすいというか、素直に認められるし、だって、凄いんだもん、この人となるわけだ。そのあたりがTVというかマスコミが紹介する政治のお話では見えにくい。

有名なのは田中角栄氏が議員立法でどんどこ革新的な法律を作り、それをもって国家のあり様を換えていったことだが、その瞬間において、国民の過半数が納得する方向に国が動いたのであれば、それは素晴らしい政治活動であったと評価されるべきである。なんでもかんでもあいつがやったことは悪いのだという短絡思考の旧態依然脳みアンチ他人野郎はほったらかせばよろしい。

大学改革なんてものもおんなじで、本社の圧力で変わらなければならないということでバタバタしてはいかんのだ。海外対応事務を強化しましょうなんて、自助努力で為すべきことを概算要求に持っていこうなどというのは茶がへそで湧いてしまう愚策である。財政を管理して、何に振り分けるべきか、何を切り何を加えるべきかに腐心し、判断して決定したならば、行動あるのみである。結果の是非は未来にしか出てこない。

政治は個人の遊びではない。組織力最大化の為、そして組織を活かして頂ける地域社会の為を思って行わねばならぬ。臆病であってはならない。刺されて倒れても良いではないか。政治の道を選択したのであればその覚悟は出来ているはずだ。綺麗ごとでは無い。また、外野は弱気を利用し病巣を作ってはならない。そんな話ばかりが聞こえてくる。まぁ、眺めているだけに留めますけどね。頑張って頂戴としか言いようがない。