お仕事と作業との違いを語りながら行き着いたのが男女平等。討議者から出てきた意見が「男子も子供を産めれば良いのだ」ということ。のけぞっては見たが、地球上の生命体において、男子の腹の中で卵を育てる生き物もあるわけで、それが全く受け入れられないということでもないのだが、生命の進化における過程で獲得してきたそれぞれの種の機能であるから、いきなり現時点でそれをひっくり返すのはどうかと思った次第。しかし、討議の中において、明確に反論できる事柄も見いだせなかったから、それでも良いのかもしれない。
近年、日本企業において漸く育児休業を獲得する者が増えつつあるということなのだが、かのアイスランドにおいてはそれはほぼ100%であって、社会全体で次世代を育てるという思考が文化として根付いている国もあるということだ。政治への参画においては、40%以上の議員を女性に担って頂くとかね。根本思想が違っている。明治時代に制定された法律が延々と生きているとかね。この国の哀れさは筆舌に値する。
お腹の中で子供を育てることはできないのだが、男子の最低限の役割は子孫の心を育てることに協力するということに違いない。それは子孫の将来を形作ることに繋がる極めて重要な役割である。これを放棄したならば子孫は片親状態で成長することと同意となる。男女平等の社会など望むべくもない。
男女を問わず、個の価値観は人の数だけある。全てが異なる価値観を持ち、それらが社会において様々なことを創造するからこそ、新たなものが生まれてくる。今よりもこうなったほうが良いだろうという思考が社会のあり様を変えてきた。時に、誤った為政者が選ばれ、その下に正当化された殺人が延々と繰り広げられ、地球人類の創意は得られず、強硬に殺人が継続される。自然界では増えすぎると減少の方向に種の意思が働くが、人類にもそれが起こっているのか?終戦から79年。考えねばならぬ。