梅雨明け

夏がやってきた気がする。暑い、ひたすら暑い。歩けば汗だくになる。駅からほど近い鶴舞大学への道のりですら、手拭いを絞れば汗が滴る。地響きの如くの蝉の声。叫べばよい。ほんのわずかな地上を謳歌するがよい。そんなことを思いながら吹上駅からの道のりを楽しんでいる。35℃を超えますと言われても、普通だなと感じるようになった。50年前の30℃を超えますという感覚かなと感じている。

視覚・聴覚的幻想かと、勘違いかなと思うのだが、あふれ出る汗が勘違いでは無いよと教えてくれる。水分を摂取していないとあちらの世界に渡ってしまう。そんな恐ろしさすら感じる。冷房も恐ろしい。室内外の温度差が激しすぎて、人間が耐えられるヒートショックの閾値を超えているのではないかと感じる。身を守るのは自分だけである。無意識のクーラー病と言うか、バージョンアップしたコロナ禍がはやり出したのも、世界的なヒートショックで体が疲れたところに変異がマッチしたのではないか?

積極的に水分を補給したいのだが、移動、討議で水分補給の間が無い。飲める時に飲んで、何と言うか、ラクダのこぶではないのだけれど、違う人類になっていきそうな気がする。水分を保っていられる器官が発達しちゃったりとかね。地球温暖化人種とか、500年後の人類に歴史づけられたりしてね。この時代のせいで、水膨れの体になったのだと恨まれるかもしれない。

梅雨明けだが、どうも「梅雨明け三日は晴れ」とかという伝説は通用せず、思いっきり夕立を覚悟しないといけないらしい。来週は台風がくるかもしれないし、来ないかもしれないしと言う、どうも大気の状態が大きく変わったようだ。地球の有り様が変わっても、人間はちっとも変わらない。旧態依然が大好きで、視覚というお墨付きが好きらしい。時代の変容で資格なんて意味がなくなるのにね。基礎力を身に着けず、形だけを整える。クリスマスケーキとうわべ人間。冷凍保存で、溶けたら喰われておしまい。よく似ている。