2030年には存在自体が怪しいが、本社の予測によれば個々の体験を感覚情報や心理状態なども肌感覚で記録出来て、それを編集・伝達・体験・共有できるメディアが出来るとのこと。出来るのかもしれないけれど、そんなものを欲しがる人がいるということに驚いてしまう。有識者会議で出てきたお話だから、有識者はそれを欲しているということなのかもしれない。
人が旅先の話を延々とされて、それを聞かされるのは苦手である。それこそ、感覚情報などが全く共有できないからなのだが、そんなものを共有させらるよりも、興味があったら自分でそこに出向くし、そうでなければ右から左へ出て行っておしまいである。他人の心理状態など、押し付けられても困るし、自分の心理状態なども解っていただきたくない。千差万別の考え方があって愉快である。
ただ、体調不良など、自分の情報は分かって欲しくは無いのだが、公共交通機関で席を代わって上げたいなと、人の体調不良は分かって上げたいと思うことがある。これは身内にそんな人が居たからなのだが、自然と目の前の人の不調が分かるようなセンサーというものが出来るのではなかろうかと思ったりする。身に着けている携帯がセルフヘルスケアステーションになっている時代は直ぐに来るのではと思ったりする。
生命は必ず老いるのであって、非侵襲診断機器としてのAIにはもっと発達していただきたいと思っている。医学・生理学・心理学・工学等々の横断的知識がキャッチボールしながら、早急に作っていただけないかなと願っている。たった5分の問診のために病院に呼び出されて、それじゃぁ2か月後ね、みたいに人の時間を奪う行為にさらされたくないからなのだが、そんな時には「こちらの嫌がっている気持」が伝わらないかなと思う我儘さである。人間の勝手に笑ってしまう。