負け戦の要件

TVをオンにしたら、偶然に男子バレーボールの初戦が放映されていて、第5セットでリードを許し、これはいかんなという場面であった。双方ミスの連発であったが、決定的な違いは「相手は親の仇!」と牙をむく独国と「いつも通り」の日本であった。特に印象的なのはここで点を取られればお終いと言う場面のサーブ。失敗を恐れイージーなボールを相手陣営に与える。その瞬間に負けたなと思ったら案の定だ。

男子柔道においては審判がおかしいなとは思ったが、一本を取れない柔道は柔道にあらずという治五郎先生の教えに背く負け戦。この際も敗北者の目は戦う前から怯えていた。勝てる筈はない。それに対して女子柔道の覇者殿の目はらんらんと輝き、初戦前から金を取るなと感じた通り。戦いとはそんなもの。戦わずして勝つ。それは心の有り様である。

それと日本のマスコミのハイエナぶりは相変わらずで、世界選手権で良い成績を収めようなら、お休みなどさせず、国民の期待は凄いのですよと、自らが正義であると言わんばかりに自国の選手を言葉で追い詰める。島国遺伝子は他国試合に慣れていない。これは遺伝子レベルの問題で、海外で経験を積んでいれば大丈夫と言うことでは無いのは、男子バレーボールの試合を見れば明らかであろう。実力を空回りさせる。

自らがこう在りたいと、10年後のビジョンを描き、存続させて頂くという強い意志が無ければ、今後どのような改組をしていこうかなどと改革の設計図など描けるものか。安全サーブなどしている場合ではない。失敗したら負けるというなら、最初から全力でぶつかっていくしか無かろう。戦いは負ければ無である。学ぶのは心で負ければ体は絶対に勝てないということだ。心技体一致とはそういうことだ。時代的には流行らないだろうね。仕方が無い。