鉄旅は

休暇というものは何物よりも高速に去っていく。まぁ、1日は時間泥棒に盗まれてしまったが、他日は死守させて頂くことにする。ということではないのだが、今までやってみたくてやれなかったことをやってみた。やれなかった理由は、地の底から墓場を通って湧き出てくる呪いのような仕事が止むことが無かったわけだが、湧き出てくるものをそのままほったらかして、無視させて頂くことにして、ちょこっと訳の分からない旅に出てみた。

ただひたすらに鉄路にまたがり続けるだけなのだが、5時半から20時半頃まで、15時間にわたってひたすらぼぉ~っと身を任せているだけである。忍耐の鉄路と言われ、一度は試してみたいと思っていたのだが、漸くそのチャンスが巡ってきた。大勢の御同輩には驚かされた。乗り鉄の人達って多いのだなと、ずぅっと同じ経路をたどる方が何名もいらっしゃって。あちらもこちらを同じ目で見ていらっしゃったのでしょうけれど、まぁ、お互い干渉せずということですな。

この年齢で活用するのは憚られるということではないのだが、季節性のおなじみの各駅停車しか使えない、とは言っても、通勤快速みたいな鉄道を使うことは出来るのですけど、そのご利益を頂けたのはわずかの区間だけ。わずかと言っても1時間以上は乗っているわけですけど、えっらく高速に感じましたな。新幹線の偉大さが身に染みるというもの。ただ、新幹線で失っていたものが沢山あったのだなとも感じた。

お仕事の為だけに費やしてきた人生であったわけで、そこにこのように怠惰に時間を垂れ流してみると、これがなんだか、人間の有り様だなと、人生の教師に感じてくるわけだ。ハンドルを握りながらでは、見えていても意識は安全な動作に向かっているので、景色は意識に変化しない。鉄路においては全てが意識になり知恵になっていく。鉄旅の本質はそこにあるのだろう。学ばせて頂いた。