ドックにて

一年に一度ではあるが、人間ドックなるものに入るわけだ。人間ドックとは善くぞ名付けたなと、そのセンスに感心するわけだ。各地の港でいろんなドックを拝見してきたが、自らがそこに入って修繕だの改造だのを受けるというのは愉快である。船の気持ちになれるわけだ。年々、検査項目を増やしてきたが、まぁ、こんなもので良かろうと今年は昨年同様だったのだが、その理由の一つが、日程が詰まっていて一泊できないから。結局、多くの知人から「この検査はやったほうが良いですよ」とご指導頂いたことは、来年送りである。ライスワークがライフワークを押しつぶす。この職場らしい。

特に変更する必要を感じないので、とりあえず、昨年と同じ病院で検査ということになるのだが、明らかにDXというか、現場の方々の事務書類的作業は減っているなと感じる。明らかに減っていて、実にスムーズに大勢を裁いているなと感じるのだ。工場の工程管理よろしく、いや、ロジスティクスセンターの如くと言ったら良かろう。鶴舞大学でも採用するべきだと思うのだが、決して受け入れないのだろうなとため息が出る。

コロナ禍で行われなかった肺活量というか、呼吸器関係の検査が復活していて、しかも5年ぶりということで機械が全く変わっていてどぎまぎしたが、一発でクリアしたら、現場の方にえらく喜ばれたというか感心された。手こずっている雰囲気があって、ちょっと緊張したわけだが、機械的に活動することには慣れてはいるのだが、まぁ、偶然である。あんなもの、一発で出来る方がおかしい。

胃カメラだのなんだのと、なんだか、検査がいい加減になったか?と感じてしまったのだが、本当にいい加減だったのか、機器の検出感度や解像度が高くなって、いい加減でも昨年並みの情報収集が出来るようになっているということなのか?検査技師の方々が手抜きの手法を体得されたのか?これから高齢者当たりの医師や技師(技士)の数がどんどんと減っていくと言われている。その方々の育成のあり方の改革も急務だ。ドック入りしながらそんなことを思っていた次第である。