教育に異様にお金が掛かるということと、日本人の博士取得者の絶対数が他国と比べて圧倒的に少ない事と関係があるのだろうか?某氏が「欧米ではそれなりのポジションでは博士を持っているのが当たり前で、日本人は勉強しないと思われている」と仰っている時に、博士課程進学者を企業や国がサポートする社会と、あくまでも個人のことだから、金は自分で何とかしろと言う我が国との在り様で、進学意欲と言うか、そこまで頑張り抜く家庭環境と言うか、そんなところで差が出来るかとちょこっと思った。
奨学金を頂きながら学び、就職したらそれを返還していくということに関しては欧米も我が国も一緒なのだが、博士を取得した人間のサラリーというか、社会的地位と言うか、その差が余りにも大きい事も関係しているのだろう。企業回りをしても「博士取得者は勝手なことをやらかすから、仕事の本流に就けられないのだ」と仰った大会社の会長殿がいらっしゃったが、今の日本においては勝手なことが何時か役に立つだろうなどと言うのんびりさは許され無いのであろう。
一体、我が国は何を造っているのだろうと思ったりするのだが、時々新聞紙上においては「ほう!」と思う発表があり、捨てたものでは無いなと感じるのだが、その時に、その開発チームの学歴一覧なども添付して頂けないだろうかと、博士人材増を目指す組織人としては思うのだ。そんなことを言おうものなら差別だの区別だの、やんやか言われてハリネズミにされるのだろうけれどね。そんなところから「どう考えるか?考え方を考える」ことが出来る博士人材を役に立てるところがあるような気がする。
起業家という点においても、信用のライセンスとして欧米では博士というものが考えられるのだけれども、どうもこの国においては、必死に学ぶことは格好悪いとか思われているのか、余りにも高額と考えられてしまうのか分からないが、もう少し増えても良いのではと思う。魅力ある目指すべき人材像の存在も大切なんだけどね。まぁ、リタイア直前の者が語る事では無いけれどね。学ぶこと、愉快なんですけどね。