大学で学び、卒業し、企業を通じて社会貢献を行う。その社会貢献の程度が、社会の求める要求に達していないと判断したら、当然のことながらその時点で最良の機能を与えてくれるであろう大学を認識し、再度入学して学び直すことになる筈だ。忙しいからとか、人手が足りないという言い訳の下、学びを放棄した状態で企業経営を続けていれば、当然のこととして、売り上げ激減、倒産まっしぐらである。美味しいエサに、猫まっしぐらなどと喜んでいる場合ではない。
この手のお話を身内としていると「そもそも、現状の経営者の殆どが、大学で『自らは何を社会に対して機能を発揮できるようになったのか』が意識できないから、大学は遊び場だと思ってしまって、大学の学びに不信感を抱いているから」というところに帰結する。小生はガマの油売り大学で徹底的に鍛えられたからそんな意識は微塵も無いのだが、そんなお話が出てくるということは、そんな経験をしていらっしゃるのですねと、少々寂しい気持ちになるのだ。
失われた30年とか40年とか、なんだか被害者みたいな表現をするのだが、それって、自らが学びを放棄しただけでしょと言いたいのだ。何故なら世界は、決して失われていないからだ。相対的に国力が下がったということは、下がっていない国が沢山あるということだ。そのような学びを自らに課し、歯を食いしばり血を滲ませなかった者が何を言うか!と怒鳴りつけたくなるが、無駄だからやらない。
かれこれ25年ほど前に米国の大学に訪れた際に、壁に貼られたポスターに「アントレプレナーシップ!」(当然英語であるが)と書かれているのを拝見して「なんじゃこりゃ?」となったわけだが、単なる起業家精神という事では無く、自らを他者から差別化せよ!というエールだと、その大学の先生からお伺いして、それなら自分はアントレプレナーシップを有していると言ったら「お前はネオジャパネスクだ」と、その通りだと言われ、安心して帰国した。未だにアントレプレナーシップは日本人に醸成されない。大学遊園地を経験した経営者は絶滅するのは何時だろう?それまで国は保てるのか?恐ろしい。