研究テーマにもペルソナを設定するべきだと考えている。小柴先生がノーベル賞を受賞された時、マスコミが「この研究は何の役に立つのですか?」と、それこそ無知蒙昧をさらけ出した質問を受け、先生は「何の役に立つということは考えていない。ただ、人類が存在している宇宙の起源を知る手掛かりになると信じている」と仰った。地球人類全体がペルソナであり、ノーベル賞にふさわしいビジョン設定と言うか、研究テーマ設定の大方針と言うか、見事である。
残念ながら、なかなかそこまで大きなテーマで一歩踏み出せないのだが、「これは面白い」と感じる背景には、なんらかの要因があって良いのだと思う。最近、振り回された申請書の中に「ゼロイチ」という単語があった。要は「何もない真っ白な環境から新たな何かを生み出す」という広大無辺な思考アプローチを実現可能にする能力を伝授するということなんだけど、この時代において、そんなもんが何処に落ちているのかと、大風呂敷愛好家の小生であっても、おこがましくて使えない。
当該分野の文献を探ってみると、今ある状況から本当にこう有りたい状況を考えることをゼロベース思考と言っていることが解り、はぁ、こんなことだったのねと力んだ自分が馬鹿々々しくなった。決してゼロベースではなく、純粋なフォアキャスティング思考である。未来をイメージすることからでは無く、現状認識、即ち、似非コンサルティング業者が使う「ペイン」という言葉からの出発で、何がゼロベースだと、本気で悩んだ自分の愚に失笑である。
まぁ、それであったとしても、こう有りたい姿を描くことはとても大切なことである。我が国の政治家の有り様を見れば「先ずこれを正せ」とか、「これは大きな罰である」とかね、何をこうしたらそうなるでしょうという、何のエビデンスもないところで声を張り上げるよりは、冷静に「これが有りたい姿である。その姿と今とはこれだけ違う」ということを示すのだから。勿論、それが何故成されなければならないのかと言う、ビジョンと目的が付随しなければならないのだけどね。申請書の基本の「キ」なんだけど、出来ていない人、出来ないアシスト人材ばかりでうんざりだ。