言うだけ無駄か・・

お世話になった先生がご存命中に、何やら集まって、何か会でもやってみようかなと思ったのだが、「死期が迫った人の行動」というお話の中に「世話になった人のお礼の会を催したがる」というのを見て、なんだか背筋が冷たくなった。いや、それほどのことでもないのだが、人前で「両足を棺桶に突っ込んでいる」とか言っているので、言霊となって襲ってきたかなと、まぁ、どうでも良いのだが、それでも直接お会いして感謝の言葉を述べたいのだから仕方が無い。やってみたいとは思う。

気を付けて辺りを見渡してみると、同様の現象が発生しているように感じる。突然、誰かがやってこようとして、時間をよこせとかね。小生は嫌だから「会う暇はない」と「会いたくない」という言葉に偽りの色を付けて返答するのだが、問うた側の理解が足りずにそれでも時間をよこせと言ってくる。勿論、更に偽りを重ねて追い払うだけなのだが、勝手なもので、こちらからお会いしたい方もいらっしゃって、これは心からだから良くて、小生に対する時間泥棒は、その輩が銭金に変換しようとする悪行だから断って良いのだと決めつけている。真実だから迷わない。

大雨になると河川の堤防が決壊し、竜巻によって送電線が切れて停電になる。どちらも社会インフラと言う人々の安心を約束してくれるはずの工業商材なのだが、想定外と言って破壊され、人々の安心を奪い去っても不可抗力としてしらんぷり。マスコミもそれに呼応してつっこもうとはしない。まぁ、自民党の票田だしね。政治家のお犬殿が何を言うはずもなし。選挙のたびに「国民の皆様の・・」なぁんて、死期が迫った人の発言を鵜吞みにして、次世代に付けを残す老害。

まぁ、小生も間違いなく老害組なのだが、選挙においてはちょこっと行動は違う。死期が迫ってそれこそ後何回、選挙に参加できるかなど分からないが、脱税しても公認される日本の選挙制度と、それを許容する国民に辟易する。それを打ち破る人に育って頂く教育はどうあるべきか。組織はどうあるべきか。一人で何かが出来るわけでは無いのだが、何か、活動せねばならぬ。そうとは思う。