先日、某金融機関での会合で、例によっての乾杯の挨拶をさせて頂いた。研究でもなんでもないところに引っ張り出されて、晒し者にされるのは本当に煙たい。心底、嫌なのだが、やらなければならない雰囲気だから引き受けてきたが、金輪際お断りと心に誓っている。と言う意味では記念すべき最後の挨拶であったわけだ。翌日に別の重たいお仕事があったので、それを纏めなければならず、ノンアルコール飲料を呑んで笑われていたが、それでしのいだ。
そこでお話したことなのだが、要するに学者は未来に「こう有りたい」姿を描き研究に取り組む生命体で、企業は展示会などを見て回ってあたかも未来と勘違いをしている過去に浸っている無残な遺体であるということ。未来に生きるのか過去の想い出に浸るのか。次元が違う生命体であるのだが、過去から脱却するために最も有効な手法が、未来を描く者との社会の新たな共創である。
研究者において気を付けなければならないのは、企業対象の研究発表会ということで、自らを売ろうとしてしまうこと。それは小生のようなエージェントに任せておいて、遠い未来をビジュアル化させれば良いわけで、当日は研究発表者のチームリーダー氏は、見事に未来を描いて頂いたから、優良顧客がテーブルに集まってきた。今に寄り添って良いことなど何もないのは、円安の日本の現状が物語っているわけだ。
そんな場に居ると、ふつふつと良からぬ気持ちが湧き上がってきて、こんな研究テーマを立ち上げてやろうかななんて悪だくみを考えてしまうのだが、既に研究室はクローズであるのだから、それこそ有りたい想いだけで「誰かに押し付けよう!」なんて考えてしまう。秋田には素晴らしい加工企業もいらっしゃるしね。今のままか有りたい姿か。内省してみると良い。人生は短い。あっという間である。挑戦せよ!