言い尽くしたことなんだけど、バックキャスティング。これは未来に発生するペインをどう解くかということであって、未来を想定して、今を見ることでは無い。未来から見えるのは未来であって、今では無いのだ。今を想定するのであれば単なるフォアキャスティング思考である。未来の出来事を予測しているようなのだけれど、改良改善で価格競争に陥るだけ。
研究の経営力は、正にそのバックキャスティング思考力なんだけど、これが案外出来ていないというか、出来ない人が沢山。特にスタートアップとか、今のペイン慣れしてしまっている人が陥っている。こんな悩みを解消しますって、それって単なる技術でしょ。決して研究対象ではない。特に大学の中堅若手がそうなってはいけない。要素研究に打ち込むからこそ「謎」が見えてくるわけだが、それを見る工学すらなないものを見いだせたら、それは素晴らしい。打ち込むのが良い。
教育改革なんて正にこの謎を見出す手法を、異分野の人達と意見を交わしながら見出していくことが出来る人材を育成することなのだろうけれど、育成する側にもそんな力は無いのだから、共に育っていくしかないわけだ。SNSの世界で生きている若者諸君は、既に仮想空間において知っていること、知らないことの共有が成されて、更に、謎があれば知恵の輪を重ね合って解決していっている。AIもあるしね。
始まりは終わりの出発点であるし、終わりは始まりの出発点でもある。新しくするのが先か、古きを駆逐するのが先か。どちらかでも良いから、兎に角、挑戦することである。見たことが無い新しい試み。やってみるのが良い。立ち止まったら始まりの無い終わりに行きつく。終着点である。