現状、物価高で海外から日本に輸入しなければならない部品類が多く、PCは高根の花になってしまっている。正に40年ほど前の状況に似ている。あの頃は日本の技術があまりにも最悪だったのと、ミイソの排他文化によって、電脳が特権階級の持ち物になっていたから仕方が無かったかもしれない。DOSV機が香港や台湾からどどっと入ってきたのだが、日本語の壁を破るのにしばらく掛かった。懐かしいお話である。回顧的お話をしたいわけではないからこの辺で止めておく。
昨日、弟子から「購入したノートPCがお亡くなりになった」との泣き言を頂いた。形あるものが壊れるのは当たりまえ。電子機器に価値などなく、それが生み出す利便性と情報にだけ価値があるのであって、特に自ら生み出した情報に関しては常にバックアップをしておくのが当然なわけで、それがあったのだから、まぁ、我慢するべきだなと言うことになる。今の価値観は違うのかもしれないが、回顧的(結局回顧するわけだ)にはデスクトップを購入できないし、USBメモリなんて便利なものは無かったから、職場と宿舎で一台しかPCを持てないのであれば、仕方なくノートPCという選択肢になったわけだ。
ひたすら重いPCをどうやって運ぶかと、当時としては奇異な目で見られたリュックスタイルで、職場と宿舎を往復し続け、それでもハードディスクが弱いから、日常的にバックアップをして、まぁ、ノートPCに引きずられる職場環境でしたな。今ではクラウド環境のお陰で職場と宿舎にデスクトップがあればよく、それが無い場所であればスマホで済む補助的環境を整えれば良くなった。小生はポメラニアンとして初号機からずっと愛用しているが、それなどはHP100LX時代からの流れともいえる。
ローカルAI搭載のノートPCが登場してきて、便利に使いこなしていらっしゃる方がお見えなのだが、残念なことにまだその領域にスキルが至っていない。いずれご利益最大限となりたいとは思うのだが、もう既に「お前なんかいらない」状態の窓際どころか蚊帳の外生命体であるから、事務職がAIに置き換わる素晴らしい社会を現場で見ることは無さそうだなと残念でならない。ノートPCは温度・湿度が異なるところを持ち歩く機器であり、今のところ壊れて当然の機器と言える。壊れたら「良く頑張って支えてくれた!」と感謝するだけで良い。そんなものだ。