活かされることを楽しむ

楽に生きるか楽しんで生きるか。同じ漢字でもこれ程に異なる意味を表現できる。漢字の楽しさである。長く生きるか活かされることを楽しむかという方が、小生的には感性的にマッチする。なんか、ず~っと似たようなことを繰り返し、少しずつ上手になり、そして慣れていくことに喜びを得る方々も多い。政治家なんて正にそれじゃぁないかな?古い講義ノートにしがみついて、百年一日の如くに、教壇で念仏を唱え続ける方もその部類か?

今は過去であり、思い描く未来もまた過去になる。思い通りの現在であれば、それは描いた時点において既に過去であったわけだ。思い通りにならない日々こそ未来であって、そこにこそ人の楽しさがある。それが楽しんで生きる正体であって、予定調和の中に安寧を見出すことに、時を費やしたくない。それは小生の有り様では無い。

想定通りにならなかったからなんだというのだ。次期米国大統領候補として彼の方が手を挙げた時点で勝敗は決していたわけだし、その直後から円安に振れガソリン代が高騰し、更には、温暖化対策が片隅に追いやられることは目に見えていたことである。平均気温が短期間に上昇するということは、農水産物の有り様に劇的な変化をもたらすのは当然で、その対策としての工学の有り様も大いに変化してくることも見えていた。小学校ではその事前教育は成されているのか?

子供たちの未来に付けを回すな!という叫びは美しい。正しいからね。でも、延々と繰り返されてきた人類の歴史である。過去を学び未来に挑むことしか出来ないわけだ。10年前の地球環境と比べても微分値は大きい。インドネシアで巨大噴火が発生して、粉塵が成層圏を取り巻いたとしても、劇的に気温が下がるわけでは無かろう。それも楽しんで生きねばならぬ。所詮はそんなもんだろう。活かされることを楽しんで生きてみようと思う。