研究会考

研究会とか講演会とか、まぁ、聴く側にとってみれば聴きたい内容をしゃべって頂ける方が壇上に立って、なんというか、紅葉見物というか、そんな気持ちもあるでしょうが、会を作る側はそうはいかない。お願いした人がN賞獲得が決まりましたみたいになっちゃうと、どうやってガードするんだみたいな恐ろしい案件が発生したりするが、まぁ、そんなことは一生に一度くらいだろうから笑い話になるだけなのだが、知恵をお持ち帰りいただこうと考えるわけだ。

会を構成する場合、聴衆からお金を頂くのか、とあるファンドからこちらが開催費用をお預かりし、その趣旨に沿った会を形成するのかでまるで取り組みが違ってくる。お金を頂いちゃうほうが案外気は楽で、そもそも学会などで実施するものは学会の看板で運営されるから、お金を支払う側も、それなりのレベルが担保されていると安心して頂けるし、こちらもそれをイメージして構築するから何とかなる。もちろん、大勢のご支援あってのことですけどね。

こんな会を開催することが、ファンドの胴元にとっては有難いでしょ!と提案を書き、採択を受けて実施するわけだから、胴元を喜ばせないといけない。それだけではなくて、もちろん、参加者も喜ばなくてはいけなくて、開催場所もそれなりの特徴を出さなければならないから気苦労が多い。思い出してみると、過去、新幹線の駅から在来線、在来線の駅からバス、バス停から徒歩で15分くらいみたいな会場で講演をさせて頂いてきたが、会を創られた方の苦労は凄まじかったろう。今更ながら感謝するしかない。

感じるのは「完成されたお話には誰も乗ってこない」ということ。ひたすらファシリテータが問いかけまくるということになる。新規のテーマを創出するための化学反応は生じにくい。「大家」が現れちゃうとどうしようもない。その方が何かに挑戦しようとしているならまだしも、モナリザに一筆加えてみろ見たいなことを言われてもね。研究会構築の難しさ。永遠の課題である。