朝の風景

交差点に差し掛かろうとした時、前方から突進してきたベンツが眼前を横切った。どんなに上等の車でも乗りては選べないということか。朝っぱらから「三度目」に出会いそうになり、えらく不機嫌である。なんとなく嫌な予感がしたので立ち止まったが、今では当たり前の風景になってしまったスマホ歩き野郎(野郎ばかりではない)であればNext Lifeへご招待であったろう。

ふと気が付くと、御器所の辺りは建て替え物件や、足場を組んで外壁をやり直すお宅が多いことに気付く。戦後の建物のリプレースと、先のオリンピック前後の家々が大型修理の時期なのだろう。メンテナンスフリーの住宅が理想なのだろけれど、人が作ったものは必ず壊れるし、まぁ、自然とてうつろうわけだから、結局のところ、ためたお金は出ていく定めにあるらしい。

御器所から鶴舞大学に至る途中のお屋敷には、ベンツだけではなく、高級車と呼ばれる部類の四つ輪が沢山並んでいる。一体どんな人達が住んでいるのだろうと思っていたのだが、自分さえ良ければという人達だということが良く分かった。恐ろしい街である。

家は土地を縛り、家具は家を縛る。昔の人は良く言ったものだ。縛り合う関係にはなりたくないものだ。お互いが高めあうそんな組織でありたいし、人でありたい。まぁ、出来損ないの人類であるからそうも都合良くは行かないのだけれど、まぁ、元気で社会のために頑張れる組織になればいいなぁと、組織を縛ってはいけないとあがいている私であります。

豊かさとは?

ハワイの噴火が一向に収まる気配がない。日本でもあちらこちらで溶岩が溜まっていたり噴火したり。地球が活発な活動期にはいったのかしらと思う。思うというか、これも太平洋プレートが3.11でどかんと動いた余波なのかしらと思ったりもする。地球規模の活動だから因果関係が大きすぎて分からない。一つ言えることは自然はやっぱり驚異だということ。畏怖する相手であって共存なんて通じない。

自然の反対を突っ走るのがお金となるのかもしれない。基本的生活から物欲番長まっしぐらまで、まぁ、お金がやってくれることって様々ありますな。米国オンライン証券会社がアンケート調査をしたそうなのですが、お金を沢山持つことが幸せと答えたのは11%だったとか。

その金額が凄くて、豊かであるためには240万ドル必要とお答えになったそうな・・税金が高い国とは言え、いやぁ、土日なく活動して駅の立ち食いソバで時間を稼ぎ出している我が身にとって、なんだかなぁと人生を傍観したくなる数字だなぁ。

17%の方は家族や友人と愛情のある関係を持つことが豊かさとお答えになっているそうなのですが、安心な生活を送るには140万ドル必要なんだそうな。ベンチャーを設立して一攫千金を目指すわけだなと、こんなところからも人生観の違いが出るなぁと思った次第。日本でやったらどんな答えが出るか恐ろしい。恐ろしがっても仕方が無いので、今日も一日、恙無くでいこうと考える私であります。

エアタクシー

天気予報によれば明日から天気は下り坂続き。いよいよ本格的に梅雨が来たかなと言うところですな。やぶ蚊がびぃびぃと飛び回り、気が付くとかゆくなっている恐ろしい季節。怪しい病気などを運んでこなければよいけれどと思ったりもするけれど、見えないところの水溜まりから生まれくてくるんでしょうねぇ。吸血昆虫は好きになれないです。

いよいよドローン型ではあるけれど、1~2人乗りの自動車サイズのエアタクシーが動き出しますね。米国ではどんどんヘリポートが出来て、20機ほどが同時に着陸できるエアタクシー乗り場では、1時間に200機ほどの離着陸を実現できるとか。AI制御で衝突回避。空の交通整理はほぼほぼAIという、日本では一体いつになることやらということが西洋では当たり前のように実現する。

自動運転にしても例え人身事故があったとしてもそれはそれ、きっちりと開発を進め、高速の乗り降りなんて当たり前になっている。アマゾンが倉庫から自動持ち出し、そして搬送なんてことを明日にでも始めそう。輸送トラックが襲われたら誰が助けに行くのだろうなんて野暮なことは考えっこ無しということか。

5年後に向けて将来を予測しましょうなんて、無理じゃないのという程の遠いけど近い未来。発展が極めて速く、リニアモーターカーが実現する前に自動運転車が走り回って、リニアなんかいらないんじゃないの?なんてなったりして。渋滞なくドア2ドアで移動出来たらそっちのほうが良いのではと、テクノロジーはテクノロジーを滅ぼすのだなと、空飛ぶタクシーが当たり前になってしまって、次は何なんだろうと想像するのも恐ろしい私であります。

孤独たれ

昨年、出張と重なって出席できなかった、名工大社会人大学院コースの合宿勉強会に参加させて頂いた。一緒に検討させて頂いたグループの、普通の大学院生の元気の良さに感動した。分野が違うので性格の違いということもあるのだろうが、小生もムキになって参加できたのは、間違いなく彼らのお陰である。とてもフレッシュな気持ちになり、感謝している。どうも有難う。

この合宿は産業戦略工学専攻が出来た当初から実施されてきていて、様々な気付きと想いを抱かせてくれる稀有な学びの場であると感じている。歳を重ねて幾星霜では無いが、続けることの意味は極めて大きいのだと実感した次第。教員も含めて40名を超える人々が一堂に会して学び合う姿勢は、真剣に参加する者には何かをもたらすであろう。

この「真剣に」というのが難しく、今を乗り越えようでは何も変わらず、こんなふうに社会に関わらせて頂くためにこうなりたいから、そこを目指すために自分が不足と思うところを足していこうというための意識でなければならない。今を乗り越えるのは当たり前だ。時が勝手にゴールを示す。

例の如く、一人で先乗りして、広重美術館を堪能し、古い町並みをのんびりと散策しながら脳の洗濯をさせて頂いた。日常とは異なる時を得るのであれば、その効能を最大化させるしかけを自らに課すべきであるが、小生の見たところ、そんな学生は皆無であったことは残念でならない。一人で自らを見つめ直す。電脳世代の諸君に必要なのは、その孤独力であろう。それもまた実感できた合宿であった。

自然

成る程と感じるところがある。ハワイキラウエア火山の大噴火は収まる気配は無く、まぁ、元来が地球のホットスポットに湧き出た溶岩で出来ている島なんだからどんどこ噴火が続くのは当然のことだ。そこに人が住んでいるということが後付けみたいなもんだから、自然の猛威に何も言えることはない。

成る程というのは、ハワイ郡の郡長殿が「自助」とおっしゃったこと。最終避難命令という単語を使い、これ以後、命令に従わない住民に対して救助行動は絶対にしないと発令された。見事である。救助隊も人である。家族もいらっしゃる。その方々が危険にさらされる。税金対応云々ではない。日本では出来ないんだろうなという発令が成されるところが成る程なのである。

当たり前とか駄目は駄目とか、それこそ至極当然の事であっても通らないのが日本のしきたり。無理を通して道理を引っ込めるのが我が国だが、道理を通すところが流石だなと感じた次第。地球のくしゃみに付き合って勝てる筈もなく、大英断である。

このまま永遠に来ないで欲しい東南海地震だが、その時、我々はどのような行動をするのであろうか。自分自身、吹雪で凍える人を前に、自らのシャツを脱いで着せる勇気が出せるかどうか。極限の選択なのだが、常にその覚悟は必要だ。地球は生きている。そう感じる。

無理と無茶

結局のところ公文書を書き換えようが8億円の値引きをしようがなんでも無罪放免の我が国。インフラ投資は遅く、世界で実施されているIT絡みのサービスの実施は規制され、結局、日本人は最も遅れた民族に成り下がっていく。無理は通って無茶はできない。こんな国では若者に元気は出てくるまい。ため息も出ない。

自動車産業も漸く重すぎる腰が上がるのかなとも思うけれど、インターネットとの繋がりEVが突っ走る中国に比べおっかなびっくりの我が国の環境意識の低さにも呆れる。中国では昨年の新車販売が約2900万台で、わがくにの520万台を遥かに超える。加えて中国ではEVが120万台越だ。中国政府の英断は素晴らしい。

市場の縮小を恐怖し、自前主義まっしぐらの挙句が、巨大なマーケットに挑むことなく消えていく臆病者の国になってしまった感がある。この状況は極めてまずい。挑戦を忘れた安穏な民族は間違いなく滅んでいく。無理をする必要は無い。無茶が必要だ。

鶴舞大学においても、無茶をやりたがる若者が増えてきていることは同慶の至りだ。爆発的に増えていって欲しい。先人はそれを妨げてはならない。過ぎ去った時は貴重な資源だが、それが次世代にとって原料となるとは限らない。新世代の旗手にとっての原料を我が国は育てているだろうか。不安になる。

古いファイル

昨日、ひょんなことから古いプレゼン資料を発掘して、仲間内で眺めてみた。12年の歳月を経てもちっとも古臭くなく、且つ、積極的で教育的だ。妙に説明臭くなく、現在のプレゼンスタイルの骨格は変わっておらず、大したもんだなと自ら想う。なかなかに良く出来ていて、やはり研究はいいなぁと思った次第。

過去を振り返るなんてことはほぼほぼしないのだが、時には太古のファイルを発掘して眺めてみるのも良いなと、クラウド上のファイルがどのくらい古いのだろうと、興味がわいた。わいただけで実際に発掘しようとは思わない。学生時代は万年筆と紙だし、助手になってから漸くNEC98以外の機械が出てきたくらいのものだ。そんなころの一太郎のファイルは読みようがない。

幻の電子本もその頃の出版で、今となってはリーダーすらなくなっているのではないかしら。ツールを発掘したとしても今のOSにはインストールできないだろう。このあたりは紙の媒体の強さだね。腐らずに残っている。大したもんだ。電脳のある風景なんて一体なんなんだなんて今更思うが、現代のスマホ社会を予見する20年も前の作品だ。

ふと気が付くと、自らのPCの壁紙は安藤広重の東海道五十三次の鳴海宿。これなどはもう100年以上も前の代物。流石だと思う。文化まで昇華するとこのようにして残るのだと、自らは何もしていないなと寂しくなってくる。ざっと眺めてみると2005年くらいからかなりのファイルが残っている。2004年に産学官テクノプラザ名古屋なる、当時の産連活動のファイルを見出した。流石に下手っぴぃだ。若干は成長したかなと思いつつ、ちょっと振り返るのも悪くないかなと、にやけてみている私であります。

自炊

誰が自炊と呼びだしたのか定かでは無いが、ScanSnapが商品化された頃だろうから、今から10年程度前なのかな?溜まりに溜まった雑誌などの背中を割いて、両面スキャンで電子化していく。これを売ったり上げたりすると犯罪だが、自分でデジタル画面で眺めるのは問題無いらしい。らしいというのは小生も法律を調べたわけでは無いので分からないということであって、まぁ、普通にコマーシャルされているので問題無かろうと思っているだけだ。

学生の頃からの論文のコピーだの、雑誌だの、教員居室が紙であふれかえって居場所が無くなった(大袈裟)のを機に、それこそ10年前に自炊を始めた。棚を空けてモノをしまおうと思ったのがきっかけなのだが、これがなかなかの決心が必要になる。何しろお金を出して買ったものを断裁して、結局は廃棄するわけだから気が滅入る。適当なところで止まってしまう。

数年経つとこれまた同様の状況になって、次のフェーズに入る。もうちょっと上等のものをスキャンして捨てるようになる。ようになったのだが、今度はスキャナが、静電気で張り付いたページを上手い事さばいてくれないので、イライラが募って止めてしまった。これは猛烈なストレスである。

どうもそれが解消されたらしいというか、前から気になっていたのだけれど、F社以外にも多くの機械が出てきて、価格も下落し始めた。性懲りもなく再び始めたのだが、これが調子が良い。そりゃぁ、電子機器だから数年間隔が空けば性能はとんでもなく高くなる。おやまびっくりである。はてさて今回は何処まで頑張れるか?機械が壊れるまでじわじわとやってみようかなとは思いつつ、ペーパーレス社会って永遠に来ないんじゃないのと思う程の書類の山にため息をつく私であります。

ティボーを聴きながら

Jacques Thibaudという人と奏でるオーケストラは実に素晴らしい。1925年から1953年までの間のHMVにて電気録音された音源を再生すると、その音色の香りに引き込まれる楽しさがある。デジタル云々言う前に、素晴らしい演奏があるべきだ。と、同様に、聞き手の怠慢を嘆くより、語り手の下手を悲しむべきだ。そう思い、日々努力を重ねるが、悲しいかな、生まれついての才能が無いという点が大きく、空しくなるばかりである。

それでも努力は身を助ける部分が必ずある。世間は分かってくれないなどと言ったとしたら、それは単純に努力が足りないだけである。誰でも努力は必ず実る。実ったら、それは努力したということであって、実るまでこつこつと必死に成すだけだ。自らが素晴らしいと感じたところにはきっと到達できる。そんなものだ。

Jacques Thibaudはバイオリニストの父を持ち、3歳からピアノを習い始め、5歳にしてバイオリンこそ自らの進む道と心に決めて、様々な音楽を学び今にその名を残す人となった。Fritz Kreislerと異なり、バイオリンがオーケストラと共にある学期になった後の演奏スタイルであり、現在のバイオリニストの原型とも言える演奏スタイルだから、今の方々にも違和感がないのではないか?

世の中はどんどん変わる。新しい音楽もどんどん出てくる。FMラジオからはそれらが垂れ流されてきて、おやっと思う楽曲を楽しめば良いという素敵な時代になっている。それも良いのだが、気に入った楽曲をお金を掛けて楽しんでも罰は当たらない。今日、無理やりの講演があるが、そのプレゼンを作りながらというか、音楽を聴きながらプレゼンを作ったのだが、はてさてそんな音色が伝わるのか、自ら、楽しみである。

あじさいの頃

ふと気が付くとアジサイが満開ですね。色とりどりのアジサイがあり、形も様々。群道の脇の公園で、恐らくは近所の方々が楽しみながら育てていらっしゃるものと思うのですが、他の花々とも相まって、とても心地よい。梅雨を迎えているのだなと感じた次第。今日は名古屋は30度を超えるそうで、これまた梅雨目前ですな。

昨日は久しぶりに大阪方面にお出かけ。どえらく重いお仕事では御座いましたが、何とか無事に返ってくることが出来てほっとしている。気が滅入るお仕事は厳しいですが、まぁ、それがお仕事と言うものかもしれません。楽しいだけで給料を頂いたのでは罰が当たる。

新幹線車中で携帯いじりは当然の事、PCでのお仕事に燃え上がる方々がとても増えましたね。映画を見ている人もいて、折角の景色を眺めることも無く、新幹線車中くらいデジタルデトックスの時間にあてれば良いのにと思ったりして。小生的にはPCを持ち歩かなくなって久しいのですが、持ち歩いていたら同様にいじり倒すかもしれない。

今週も週末がやってきた。出来なかった仕事を明確にして土日に持ち越すという不健康極まりない働き方が、いよいよ全ての人々にやってくるのだなと、法案成立を斜めから見ている。直ぐに給料を頂いている人全員が対象となるから。所詮、政治などそんなもんだし、日本はそっちに突っ走るんでしょうね。誰も居なくなったりして・・恐ろしい日本である。