言語

20年も前のお話だが、全国の工科系学科をネットワークで結んで、特色ある講義を相互に受講して、工科系学科のレベルを高め続けようという試みがあった。当時の副学長先生に呼び出され、「お前、東大で開催される委員会に行ってNoと言ってこい」と厳命され、お偉い先生方を前にして「本校はNoです」と言った頃から人生がねじ曲がっていったような気がする。その後、議論を経て約10年それは継続され、何故だかその幕引きも任された。ネットワーク大学が有効に機能していたのがスペインバルセロナ自治大学であった。

EUの波に飲み込まれ、教育格差が大きかったカタラン地方において、郵便局のネットワークを教育用に開放し、郵便局で講義が行われ、地方と都市部の学力格差を一気に無くした。格差が無くなったのはサービスも良かったのだろうが独裁によって虐げられ、それをなんとか跳ね飛ばそうと、民族独立に向かって戦い続ける気概そのものが主要因だろう。ネットワーク大学においてはカタラン語(スペイン語では無く、スペイン人でも分からないと言うところが多い)を使うことが出来れば無料ということに、日本代表使節員の一員として驚かされた。民族と言語。言語こそ文化そのものだと認識した。

我が国を顧みるとNHKを中核として標準語を展開しているが、地方に行けば今でも「何を言っていらっしゃる?」と相槌を打つしか無い状況が多々ある。それで良いのである。独自の文化を持つ地域ほど強いのだ。文章に起こすときに「はんでめためたごっちょうでごいす」と書かれても訳が分からないが、共通の国家的文章、言語力が明確にあって、それを使いあえばそれで良い。NHKの存在価値はそんなところにあるのだろうと思っている。

フランコ統領の時代にはカタラン語の教育も出版も禁止され、正に文化を封印されたカタラン(テレビ的にはカタルーニャ)地方であり、1977年9月に漸く文化を取り戻した。スペイン語に似ていると言えば似ているが、「おはよう」がスペイン語でブエノスディアス、それがカタラン語でボンディーア。スペイン語しか勉強していかなかったので「???」の連発で、タクシーに乗った時のパニックは凄まじい。日本のメディアはカタラン地方の独立云々を語るが、文化を抑圧された民がそれを正当に取り戻す運動であることを語らない。元来が独立していたのだ。国家の問題であるからこれ以上は立ち入れないが、自治大学で教鞭を取られる方々の熱意を肌で感じた小生は収まるところに収まるのだろうと思っている。同じ言葉で結ばれた民族。それこそが700万年を生き抜いた人類の証であると考える私であります。

狭山工場閉鎖

自動車小僧だった小生としてはホンダ狭山工場の閉鎖は実に寂しい思いがある。可変式トランペット、超高回転高トルク、乗り手が追従できれば、0発進からトルクリッチに立ち上がり、コーナー出入口で等速度運動を可能にする。そんな機械が国内で作られなくなっていく。いや、世界においてもモーターと電源、勿論コンピュータに支えられていく。ホンダだけではあるまい。今後、トランスミッションなど、電動化されたらほぼ要らない機械を作っている工場は閉鎖していくだろう。

日本経済の牽引車はインフラ工事と自動車だ。機械産業という点においては建設部材を除けば、ほぼほぼ自動車だ。小松製作所などが活用する大型建設機械は今後も要求され続けていくだろうが、一般民間人向け乗用車とは数において桁が違い過ぎる。雇用を生み出す原動力とはならない。部品点数がガソリンエンジン車と比べて圧倒的に少ないEVは、現在の自動車産業に関わる人員数を10分の1以下に減らすだろう。

マニアの方々はガソリンエンジンのフィーリング云々を語るが、EVに試乗した感覚では実に面白いと感じた。また自動車小僧に戻りそうだ。アクセル応答性は明らかに高い。そしてそれは車載用コンピュータの発展でもっと増していくだろう。EV用モーターというか、モーター開発という古くて新しい技術のエンジニアを増やしていかないと立ち行かない。そしてそれを駆動する回路、そして制御するコンピュータにはまだまだ参入の余地どころか未開の地だ。

それらがどれだけの人員を吸収できるか分からないが、携帯電話に車輪がくっついたような世界をイメージするには、要素技術から機械を考える頭の人間よりも、社会はこうなって欲しいと願い、そこから必要な技術を「こんなのが必要じゃないの?」とイメージ出来る頭の人間が必要だ。自動車ばかりではない。全ての分野で同様だ。高齢者医療関係の研究も同様で、高齢者に寄り添い過ぎると木を見て森を見ず、我が国の安定に寄与できる研究開発に繋がっていかない。夢を語れる素人の時代、そんな時代がやってきたなとホンダ工場閉鎖に思う私であります。

ススキ

現在、宇宙は揺らぎによって突然生まれ、爆発的に広がり、10のマイナス6乗秒程度でクォーク等素粒子が衝突し陽子や中性子が生まれ、3分後に、それらが衝突し始め、水素(陽子)からヘリウムが合成されたと言われている。水素とヘリウムの比率は12対1であって、これが宇宙に水素が満ちて新しい元素合成が進んだ理由である。だから何だと言われても困るが、我々が存在できる理由はここにある。ビッグバンと呼ばれる現象だが、質量数7までの元素合成で一旦合成は終了した。

30万年程度たった後、漸く、高温の宇宙が冷め初め、陽子やその他の原子に電子が捕まり、新たな元素合成が始まった。水素やヘリウム原子は近づきあい、自らの重力で密度を上げ星が出来た。太陽程度の星では大略100億年の寿命だが、現在の太陽系は46億年前に出来たと言われ、39億年前に地球上で炭素が生命によって集められたと言われている。あくまでも言われているのであって、見てきたのではない。

人類っぽくなったのはたったの700万年前であって、生命誕生から人類誕生までの間、様々な出来事がありすぎて人類の寿命とやらが情けなくなる。素粒子が生まれそれらがくっつき合って、その結果が今、目の前にある世界である。バーチャルな世界まで頭の中で生み出して、それを他人に見せることが出来る時代にまでなっている。イノベーションを起こしてお金を稼げとお国は言うが、たかだか元素の集合体が何を頑張るのだろうと思うのだが、未だに世の中謎だらけなのだなと、ノーベル賞の発表を見るたびにため息が出る。

ふと気が付くとススキに穂が出ている。思えば間もなく中秋の名月日だ。人間の寿命程度の間には天空は規則正しく、その国々の四季を運んでくる。地球温暖化ガスを出し続ける人類に対しても夏も冬も太陽は平等に運んでくる。無尽蔵にエネルギーを地球に与え続ける太陽と、地球の自転軸を安定化させている月。宇宙を思うとその壮大さに感服するのみだが、今日も地上で悩み続けなければならない自分なのだと考えると、ちっぽけ過ぎて笑ってしまう。ススキの穂を見て、ふと元素誕生の歴史を思い出した私であります。

季節は銀杏

路上に銀杏が散乱し始めた。御器所駅を出ると銀杏街道が続く。今朝などは、車道に落下した銀杏を車が弾いて、凄まじい勢いで歩道側に飛び込んできた。ラスベガスの惨劇には足元にも及ばないが、朝からいきなり銀杏が真横から飛んでくると、頭上から弾丸が降ってくるそこまでの恐怖を体験したことは無い。

自分を守る領域から、他人を殺傷するその境界面のあいまいさ、薄さに改めて考えさせられる。FBIやSWATがM16を構えている姿を間近で見たというか追いかけられたというか、単に向かう方向が一緒だったというか、それだけでも恐ろしい。それが当たれば死ぬ状況が普通にある。使ってはいけないが、使わざるを得ない状況があり、それが許される国があるということを改めて認識した出来事である。

日本にも原発という人間が抑止不可能な領域が無数と言って良いほどある。いつ、狙われないとも限らない世界情勢にある。必要なのは年がら年中付き合っているという、結局のところ、700万年で滅びなかった唯一の人類種族が実行出来てきたことを繰り返すしか、生き続けるということは出来ないのではないか?進化の過程で勝ち取った5つの母音をこれからも駆使しなければならない。

機構構築の一番の目的は研究者に機構職員がどれだけ寄り添わせて頂くかだ。社会が求めるエビデンスである成果にコミットし、研究だけしていれば外部との繋がりがしっかり出来ると安心して頂ける構造に移行することだ。一朝一夕ではできないが、何かを一つ始めないと何も変わらない、いや、必ずエントロピーは増大し、堕落した形態になる。まだ何も見えないが、一つ一つ、ゼロから数字を生み続けなければ大学は社会から変わったとみなされない。今日もその何かの一つに挑みたい私であります。

機構船出

2017年10月1日付けで産学官連携センターと大型設備基盤センターを統廃合し、新たに産学官金連携機構に改組致しました。いきなりのスタートダッシュとはいきませんが、スピード感を持って事に当たれるよう努力してまいります。ご愛顧のほどよろしくお願い致します。

10月1日が日曜日であったため、2日からの更新になってしまいましたが、その昔の戯言のようにはあまり「戯言」にならないかもしれませんが、ちょこっとジョークも交えて、「あぁ、まぁ、戯言だからしょうがないか」と笑って許して路線は踏襲するとは思います。ひたすら長ったらしい文章も、苦笑いで飛ばしてください。

広報活動も重点強化案件でありまして、渉外部門を立ち上げたことにも表れております。飛び込みでやってこられた先生に、ここぞとばかりに案内チラシをお渡ししたら、産学官連携センター・・のまんま。内部擦りのものなので、これらはぼちぼち直していきます。

朝から曇天で、黒雲に覆われた恐ろし気な空模様でしたが、現在小康状態。一気に秋がやってきそうな気配ですが、曇天よりは秋晴れが良いなと、今週もめいっぱい行事だらけの私であります。