新しい事

例えて言うならばという切り口こそエンジニアリングの神髄であろう。今、そこに無いから例えるしか無いのである。定量的な説明で価値を語っているのであれば、それは過去の出来事の思い出であって、我が国には、まぁ、少数民族としては必要かもしれないが、エンジニア全員がそんな調子では困る。まぁ、例えて言うという比喩力を持った人も大いに減っていると感じてはいるが。

某予備校のインタビューを受けたが、見下す目線は実に厭らしい。自分達こそ正義であるという姿勢は、どんなに顔の筋肉を動かしても、その目線で明らかだ。そりゃぁ、皆さんが鍛えた人が入ってくるのでしょうけれど、送り込んでやったぞという姿勢はどうだろうか。それを有難がる大学側の仕組みがいかん。基礎をばっちり体に刷り込んで、自在にそれを取り出す力こそ必要だ。それがエンジニアリングの基本だ。

基礎をどこに向けて爆発させるかが重要で、それは過去の延長ではなく、あなたの未来にである。全く予測の付かない2,3年後であるが、生きている限り確実にそれはやってくるのだ。ひたひたと確実に、一歩一歩未来はやってくる。そして過去になる。それが繰り返されるのだ。誰にも容赦はしない。

年齢を重ねるに連れてときめきを失うから、毎日が早く過ぎるようになると哲学者は言うが、そんなものだろうか?常に全力で時間は過ぎ去っていく。遠慮はしてくれない。時間に遠慮をしてくれとは言わない。言わないが、遠慮が出来る誰かを隣に置いておいて欲しい。それがときめきというならそうかもしれない。そんな時があっても良いのかもしれない。未体験ゾーンだが見てみたい。