無心

街中にクリスマスツリーが乱立し、ここは一体どこの国だ状態になってからどれくらいが経つのだろう。小生ががきんちょの頃の記憶には無いのだから、ここ50年の事なのだろう。がきんちょと思っただけで半世紀経ってしまっているという恐ろしさだ。一秒の長さが短くなって切る気がするが、いやいやそうでもないのだ。やっぱり変わらない。それは間違いない。

じっくりと物事を考える時間が無くなってしまい、これは由々しき事態である。と、言うか「モモ」の状態ですな。時間泥棒がやってきて人々の時間をさらっていく。心には隙間風しか吹かず、冷たい世界が広がっていく。冷たいという状況は、自分の時間を自分のためだけに使おうとする人の心であろう。

無心に目の前の事に全力を尽くせば良いだけのことで、お仕事そのものが自分のためのものではない教協においては、まさにそれこそが成し遂げるべきことなのだ。時間が無い無いと言ったって、充実するとそれが案外あるものなのだ。充実とは正に無心になることであって、それは案外、実行している人は少ないようにお見受けする。

自分の実行するべきこと、自分が作り出し責任を持つこと。それを無心になって行動する。無心、良い言葉だ。隙間風すら吹かない、そして冷たくならない。小生にはまだそんな生き方が出来るようで、毎日コツコツではあるが、誰も見ていない世界を見ているから面白い。研究者とはそんな生き物だろう。愉快である。