図抜けること

様々に入り混じった状態を、カテゴライズしてくプロセスを分級と呼ぶ。粉体に関わるお仕事をしていらっしゃる方ならお馴染みの単語だが、そうでないの、なんじゃいなとなろう。身の回りで言えば、製粉された小麦粉を購入して、異様に大きな粒が混じっていたという経験は無いはずだ。それは小麦粉が分級されているからだ。

分「級」というと、なんだか差別用語みたいだが、松竹梅を分けるのではなく、大きさ、質量を分ける行為と思って頂きたい。勿論、世の中にはきな臭い分級もあるが、大小くらいに思って頂きたい。世の中には凄いお企業がいらっしゃって、ありとあらゆる「粉」の大きさをふるい分け、メモリやCPUを形成する単結晶半導体の表面を無歪に、電子から見て平坦な面を作り出せるものづくりをしていらっしゃる。比類なき分級技術だが、そんな「比類なき」というレベル感が素晴らしい。

比類なき世界は、正に破壊的イノベーションの世界であり、その用途は無限に広がる。突き抜けた技術は何かのために突き抜けたわけだが、突き抜けたものは、突き抜けていない世界においても新規参入案件が生まれてくる。なんらかの研究成果を求めて研究者は道に踏み入っていくのだが、それは先入観で作り上げた道であって、実はそのすぐ隣に新しい世界が広がっているものだ。それを見出すのがコーディネータの役割であり、広く深い見識が必要だ。何かが出来ると思っていると、実は何も出来ないものだ。何も出来ないとあがいている瞬間こそ、新しい気付きに向かっていると安心すると良い。

圧倒的に素晴らしいのに、世の中に出ていかないのは何か理由がある。世の中が追い付いてきていないのは最も幸せだ。適応しなければならない世界が現れた瞬間に、凄まじい縛りが現れる。コストという単語がその一つだが、コストコストと叫び続けた結果が今の日本だ。技術の価値化をエンジニアが行えない。そんなものづくりの世界は、世界の潮流からとっくにおいてきぼりだ。図抜けたものづくりをなさっていらっしゃる方々との交流だからこそそれが見えてくる。新たな図抜けを求める世界はすぐそこにきている。一歩一歩でも千里の果てを見てみたい。図抜けた技術はそんな気持ちにさせてくれる。有難いことだ。