下町か山の手か、どっちだと言われれば、そこは間違いなく下町である。国分寺崖線を多摩川が作り上げたその土砂を堆積させて出来たような土地であって、一般的には下町とも呼んでくれないようなところではあるが、明治以降の下町と言うことで良いのではないか。ひょんなことからと言う訳ではないのだが、お江戸にお仕事に出た際に、とある下町横断鉄道に乗ってみたお話をしてみようと思う。
今昔マップのお世話になって、蒲田駅周辺の明治の時代と現状とを比較してみると、東海道本線は通っているものの、池上線は影も形もない。1917年~1924年の範囲を見てみると、蒲田から池上まで引かれていて、そのタイミングで池上の競馬場が失われている。この頃には蒲田の周辺は市街地化しているようだ。下町横断鉄道とは池上線のことだ。調べてみると蒲田から池上本門寺への参詣輸送の為1922年に開業されている。なんと10月6日開業ということだそうだ。知らなんだ・・
蒲田という街には、JRを筆頭に京浜急行の蒲田駅もある。東急線が目蒲線と池上線なのだが、今は呼び方が変わっている雰囲気だが、小生にとっては「あまがえる」時代の池上線で馴染んでいるので、それを踏襲する。西口に回って3両編成、ワンマンの池上線に乗ってみる。ちなみに、JR蒲田駅からちょっと行くと京浜東北線の電車区があって、鉄ちゃん的には憧れの地である。砂の器という映画があったが、この地での殺人事件が映画の出だしとなっている。島根県の亀嵩がやたらと記憶に残った想い出がある。
新型車両の池上線が軽快に蒲田駅から滑り出すのだが、スピードは決して速くはない。蒲田から品川経由で五反田に行くのに16分、池上線で26分だ。まぁ、10分早起きすれば良いだけだから問題はない。あっという間に蓮沼駅に着く。扇状地故のハスの群生する沼地だったそうで、それで蓮沼駅だそうだ。家々の谷間を進み創業駅の池上駅に着く。池上と言えば本門寺だが、小生的には力道山のお墓があるくらいのところで、日蓮さんが入寂されたところというのは、まぁ、そういうところなんだなというくらいだ。その日もかなりの方がそれなりのいで立ちで降りていかれたから、今日も信心篤い方には聖地駅なのであろう。ちっとも話が進まないが、今週はこんな感じで、目的地までをだらだらと語ってみたい。