GDPを想うべき

脱線しすぎて話の出だしを忘れてしまったが、車窓に見える電線の醜さの話だ。小生的には、鉄道は人を移動させるにおいて、最も正しい電気の使い方だと思っているのだ。突然、土地が飛ぶのだが、四国に電車で渡って、香川方面に移動し始めた瞬間に、真っ黒い煙を吐きながらディーゼル車両が走り出すと、食料生産地には相応しく無い実態である。人の笑顔の為に電気を造り、運び、そして使っているのか?

加工機が所狭しと並び、切削油が蒸発し、人類は防護眼鏡とマスクで身を守る中で活動するのだ。電気が人間の寿命を切削するのだ。人間の活動エネルギーを遥かに超えるエネルギーを、たった一つの事業所で創り出すのだ。それが365日続いているのだ。ディーゼル車両に乗ってみると、実は案外、安心したりする。ディーゼルで発生する電気エネルギーは、発電機を背負い、人を背負い、重い車両を動かすためのギリギリの仕事をしているのだ。「電車」が軽快なのは、それだけ、エネルギーを食っているという事なのだ。

毎日毎日、超満員の電車を動かし、人々を運び、その人々がGDPを叩き出す。電気が行っている仕事は、正にGDP製造なのだ。電子レンジによる調理の簡便さで、朝の時短を実現するのも、ロボットと人が協調して仕事をするのも、GDP向上という社会的意義があればこそ許される事実なのだ。単に便利だから電気を使うなどと、地球を破壊するためだけの活動は許されるものでは無い。

東京と大阪を新幹線が繋いだのだが、その時に使った費用は、GDPの10%だ。それが許されたのは新幹線がそれ以上のGDP獲得を実現したからだ。朝の混雑時には地下鉄よりも短い時間間隔で到着、出発を繰り返す。この活動こそが国の原動力であり、電気が存在する理由である。理由であるのだが、昨今の国家の赤字の垂れ流しの為に電気が大量輸送されている現状は、これは納得できないのだ。出来ないのだが、行われている。それを海外に押し付けてでかい面をする日本である。嗚呼、屈辱である。