ここ最近、特に目立っていると感じているのが鉄道の停止。今朝もなんとあの山手線が全線始発から停止という、日本の経済を止める気かという凄まじい状況が起こった。加えて昨日などは新幹線の台車が割れるという、絶対にあってはならない事故が発生した。0系以来、初めてのことだというが、日本技術の象徴の崩壊は、ものづくり日本の凋落の象徴でもあろう。嘆かわしいことだ。
昨日、10月末から続いている忘年会の一つが刈谷であった。刈谷と言えばJRで金山から行けるのだが、朝、電車が動いていないというニュースが入って、なんと、18時過ぎまで停止しているという状況であった。これなども呆れるしかない技術力であって、一体、何がどうなったのと、今朝の新聞でパンタグラフ故障が架線を破壊し、それが連鎖してブレークダウンに至ったとのこと。
刈谷は知立経由で名鉄で行けるのだが、ある意味、通勤客の逆方向状態だったからまだましだったのかもしれないが、刈谷に着いた時に、知立に向かっていく車両に乗り込もうとする某D社、A社の皆さんでごった返していた。丁度、JRが動き始めたところで、分散乗車が始まった時であったが、パニック状態の凄まじかったこと。山手線の朝のラッシュを彷彿とさせると言えば大袈裟なんだけど、公共交通機関という「公共」が利用者に不便をもたらすとこうなるという縮図であったろう。
国立大学も公共の機関であるのは間違い無い。骨格に教育があるのは当然のこと。その教育とは国民の無意識の幸せを底上げするものだと思っている。意識して無理をすると台車が割れるようなことになる。気が付いたら全ての人同士がそれぞれの幸せを褒め称えられるような、そんな教育が必要なのだと思う。勿論、新しい学術技術は必要だが、それは人の笑顔から生まれるべきで、笑顔の質をどれだけ高めることができるのか。それに徹していきたいと、台車が割れた新幹線をテレビで見てそう感じた。