「それは飛躍し過ぎだ」としょっちゅう突っ込まれる。小生的には全くそんな意識は無いのだが、どうも先走るというか論理に飛躍があるらしい。話が合わないことはしょっちゅうだ、むしろそれを正しいと思っている。答えがありそうな議論は適当に相槌を打つから飛躍も何も無い。確認という行為は大嫌いだしね。相槌で安心を求められるのが一番嫌い。無駄の極みである。怒ってくれというのなら大歓迎だ。いつでもどうぞ。
とは言うものの、飛躍の無い意見に怒りなど湧いてこない。それはそうだろう。そんな議論にお付き合いする時間は残されていない。いつ、この世から消えるか分からない昨今である。突然、高熱で倒れ、酸欠であちらに渡るかもしれないのだ。イギリスとインドが合体するという、なんだか植民地政策かみたいなコロナウイルスの変態だが、そんなところにまで関係性を持たずとも良かろう。
飛躍が悪いわけではないし、飛躍しようとする心構えが必要なのだ。世界から見たら、そして宇宙から見たら人類の飛躍など、かけらににもならない。本当に些細な事なのだ。常に視点を自分に置いているから飛躍に見えるだけで、宇宙からの視点で自分を見つめてごらんなさいな。ほらね、ちっとも飛躍なんてしてないでしょ。
自分の意識をずっとずっと先に置きましょうよ。そうするとね、何かが見えてくるんだって。相手の意見に飛躍を感じるのであれば、自分ならどんな風に前進するのか考えてごらんなさいな。守るべきものなんてこの国にはどこにもない。それなのに自分の考えばっかりを大切にしてしまう。まず捨てる。すると心に余裕がきっと出来る。そこに前進の起点が出来る。思い切って飛躍してみるのが良い。思考は飛躍から。やってごらんなさいよ。