投げ銭してみませんか

税制が悪いから寄付行為が成されないとするならば、それは変革されるべきだと実感している。突拍子も無いようなことをやっている研究者に「ぽんっ」っとお金を出すと、きっと何かが生まれてくる。企業の方はバブル前の、金が金を生んで、量産品でじゃんじゃか儲けて時代を引きずって「マスの効果が無い商材はゴミだ!」と一言目に仰いますがね、いつまでそんなこと言ってんですかね?電化製品という電気を作らないと動かない製品や、紫外線を浴び続けると崩壊するプラスチック製品とかね、いつまでそんな思考でいらっしゃるのやら。

研究者の中にも「外からの圧力は大嫌いで、今が全て!」と仰る方はいらっしゃいます。素晴らしい研究を実施されていらっしゃる方に多いような気もしますが、それはそれで同意しちゃうところも御座います。ただ、職場が教育の場だとすると、社会をリードする思考力を受講生には獲得して頂かないといけないわけで、個人プレーで好き勝手は、それは同意できない。システムプレーが必要で、野球みたいなものかもしれない。個人プレー以外は排除されるなら、研究のみがミッションの場に御移り頂くしかない。ちょっと話がずれちゃったのだけど、寄付をされるなら「図抜けたことをしそうな人で、そのプロセスで得た知識を丁寧に次世代人に教育出来る人」になさるのが宜しい。

税制優遇措置があるから海外の大学では数千億円の寄付が集まると言われるわけですが、どうも違うだろうなって思うのですよ。アカデミックな人達が、もっと人を引き付けるテクノロジーを発信する必要があると思っています。基礎研究だけが良いのだとか、パソコンだけがあれば良いのさとか仰る方は大勢ですし、お金が無いから装置も古くなり、計算機も古くなる。他国よりも基礎的教育研究費が国から降りてきませんから、独自でお金を集める努力をしないといけない。それがおかしいのだと言うのは簡単だが、経済力の無い国家において、国に教育研究経費を出せと言うのは、もう無理なのだ。それを企業の方が目をつむり、自社だけ生きていけばと思っている。それがいかんのだ。

企業の成長は新しい知識、若者のやる気、根気、元気に掛かっているわけで、次世代を生み出せる知恵を獲得した者が社会に出ていかない限り、日本は沈没するのだ。物理的ではなく、精神的・文化的に沈没するのだ。そこには投資が必要なのですよ。数千万とは言わないけれど(言いたいけど)数百万、「こいつは面白そうな奴だ!」という研究者に「ぽんっ」って投げ銭してみては如何でしょう。GDPを上げていく、我が国の資源は人の知恵しか無いのだ。知恵から世界に買って頂く商材をつくらないと沈む国なのだ。それには清貧などと言っている場合では無い。口を出さずに金を出す。まぁ、沈没した国にはそんなお企業は無いかなぁ?